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涙が流れて、目が覚めた。
苦しい。
寝返りをうって、まぶたを閉じる。
うー。
小さく唸る。
また嫌な夢を見る前に、起きてしまおう。
「おはよう、テッド君!ご飯の前に、少し散歩でもしないかい。外、すごく天気がいいよ」
「・・・・・・。お前だけで行けばいいだろ」
テッドは上機嫌のアルドの横を通り過ぎて、階段を下りようとする。
「テッド君」
「・・・・・・」
「未だ、食堂開いてないよ」
ピタリとテッドの背中が止まった。
「だから朝食の時間まで外に出てみようよ。風がとても気持ちよさそうだよ」
アルドが宿屋の廊下のカーテンを開けた。
まぶしい。強烈な朝の白い光が刺し込む。
生まれたばかりの清らなる光だ。
「せっかく、こんなに早起きして、こんなにも天気がいい。もったいないよ」
テッドも散歩がしたくなった。アルドはとんとん、テッドを抜かして階段を降りていく。
それで、テッドはアルドの後ろ、距離を置いて、外に出たのだった。
冷たい風。新鮮な空気。雨上がりの草の匂い。
宿屋の前の花壇には、雨露に濡れた、赤や黄色やオレンジ色の花がキラキラ輝いている。
花壇と花壇の間で、アルドが長い両腕を上に伸ばして、背伸びをする。「はあー」と声をもらし、大きく深呼吸した。
「海の上もいいけど、やっぱり陸地も安心するなあ」
宿屋のある高台。ネイ島の中で最も高い場所にある。
海に突き出した断崖の上の此処からは、海が遠くまで見渡せた。東の空に太陽が昇り、海に光の道を伸ばしている。
山がちのネイの地形。所々、隆起した岩に紛れて、下のネイの街の青い屋根がちらほらのぞく。
植えられた傍らの木の新緑を、アルドは実に楽しそうに眺めながら、時々、目の高さにある枝葉に手を伸ばしたりして、彼はのんびり歩いている。
そして、宿屋のある崖と、広場のある崖とを結ぶ、木造のアーチ橋に向かう。
テッドは煉瓦が積まれた、花壇の縁に腰を降ろす。
一緒に散歩をしている訳ではないのだ。
「わ、わ!」
と、アルドの大声が橋の向こうから聞こえてきて、テッドは咄嗟に立ち上がった。ぽっかり、崖と崖とを繋ぐアーチ橋の下には、奈落の口が開いている。その木造のアーチ橋を走って渡った。
広場の草むらでうずくまっている、アルドの後ろ姿が見える。
「ああ、テッド君」
駆けつけてきたテッドの方を、アルドはのんきに振り返った。
「犬がいたよ」
アルドの大きな手の下には、白い犬の頭があった。犬はごろんと横になり、尻尾をぱたぱた振っている。
「草むらの中に紛れてたもんだから、危うく踏みそうになって、びっくりだよ」
にへらと笑った。
アルドは少し移動した。犬に手が届く空間が空いて、テッドは思わず、ふさふさした犬の背中を触った。
「テッド君も犬、好き?」
犬の頭をなでていたテッドは、手を引っ込めた。
「・・・・・・・・・・・・。まあな・・・」
「僕も犬が大好きだよ。可愛いし、優しくて、頭もイイしね。森にいた頃、犬を飼ってたよ。一緒に狩りをしてたんだ」
アルドは犬の耳の後ろをがじがじ撫でる。
「でも、僕が森で迷子になって以来・・・・・・。あの日は、狩りに連れて行かないで、家に置いてきてたんだ。僕はこの海に来て。僕の帰りを待ってたかもしれないね。あの犬はとても賢い犬だったから、村のみんながきっと代わりに飼っていてくれてると思うけど・・・・・・」
アルドは立ち上がって、海の方へ歩いていった。
テッドは犬の側に残って、ベロをだしハッハッと息をして自分を見ている、犬をじっと見ていた。そして、満足するまで、一通り、犬を撫でた後、テッドも立ち上がって、海の方に歩いていった。
海上を縁取る、白い雲。見上げれば、澄み切った青い空。
広場からは空が全天見渡せた。
アルドは海を見ていた。後ろで高く結わえた彼の長い黒髪が、風にそよそよ揺れていた。
水平線に、雲の切れ目ができた。
ふと、海の彼方の影が、テッドの目に入り、即座に目を背ける。
北の海。彼方にうつろう、おぼろな灰色の影。
「イルヤが見えるね」
アルドはテッドの近くまで来ていて、北を向きながら呟いた。
「今日も空が泣いてる・・・・・・」
島の上空を覆い、一向に離れようとしない雨雲が、黒く見える。あの惨劇以来、イルヤには雨が降り止まないという。
「あそこで、たくさんの人が亡くなったんだね・・・・・・」
アルドは顔を険しくした。
「誰かの欲望のために、たくさんの人が犠牲になる。・・・・・・なんで、そんな酷いことが出来るのかな。いつになっても繰り返す。人の戦いの歴史は、いつ終わるんだろうね」
テッドは再び歩き出した。イルヤから遠ざかるように。
アルドはテッドの後を追った。
橋の手前まで来て、テッドは脇の手頃な岩に腰かけた。
アルドも近くの岩に座った。
二人は会話をしない。
お日様がぽかぽかしていた。
「ねえ、テッド君。火山島がやがては花の島になるって知ってる?」
テッドが何も答えないと、「それじゃあ、」とアルドは話を始めた。
「火山が噴火して全てが焼き尽くされた後には、草一つない不毛な大地が広がる。固まった分厚い溶岩は水を吸収しないから、植物は生きられないんだね。でも、雨や風や、太陽が、少しづつ溶岩を壊していく。やがて、溶岩の隙間にまず、苔が生えるんだ。岩に張り付いた苔は、わずかな水でも精一杯に生きて、枯れれば水が溜まり、他の生物が根付く土台になる。数十年後、やっと、背の低い草が生えてくる。さらに時間をかけて長い草が。もっと経ってから、風に飛ばされた木の種が芽吹くんだ。水が少ない所でも育つ、クロマツやヤシャブシのような木のね。木は硬い溶岩にも負けないで、根をどんどん伸ばしていくんだ。溶岩は砕かれて、徐々に細かくなっていく。そして、積み重なっていく植物や小動物の死骸が混じり合って、肥沃な土壌に生まれ変わる。遂には、様々な生物が生きる豊かな島になるんだ。
ここまでに、数百年はかかるそうだよ」
アルドは嬉しそうに微笑んだ。
「長い長い時間をかけて、たくさんの命に支えられて、死の島は、色とりどりに咲き誇る、花の島になるんだ。自然が変化する時間に較べたら、一人の人間が生きる時間なんて、本当に、ちっぽけなものだね」
アルドはテッドの方を見て。
「テッド君くらい長く生きられたら、自然の、この世界の大きな流れを見届けることができるんだろうね」
テッドはアルドを見ずに、突き放すように言った。
「大して変わらないさ」
テッドは顔を見られないように、背中を向けた。
「それに・・・・・・」
テッドが呟く。
「・・・・・・俺の時間は止まったままだ」
「そうかな・・・・・・?」
アルドは尋ねた。
「テッド君は、僕等の船に来てから、自分が変わっていないって、本当にそう思ってる?」
アルドは立ち上がって、空を見上げた。
「この世界に変わらないものなんてないよ。一瞬に変わるものもあれば、変わってしまったことも分からないぐらいに、ゆっくりと変わるものもある」
空は青く、白い海鳥が二羽、連れだって海を目指して飛んでいった。
鳥の甲高い鳴き声が聞こえた。
「・・・・・・変わって欲しくないものでさえも、容赦無く変わってしまう。今、僕がテッド君といることも、やがて思い出に変わるんだろうな。テッド君の長い長い人生の中で。・・・・・・でも、それでいいんだ・・・・・・」
「もうそろそろ戻ろうか」と、アルドが言った。
二人はアーチ橋を渡る。
吹き抜けていく風が心地良い。
「テッド君。僕、今日、悲しい夢を見たんだ」
橋を渡り終えたところで、アルドはテッドの方を振り返り言った。
「でも、ここに来たら、なんだか、晴れ晴れとしてきたよ」
テッドはその場で立ち止まり、海を見た。
「テッド君も・・・・・・」
アルドは呟いた。
海は一層、鮮やかに青く輝いている。上へと上へと昇っていく太陽が明るく照らしていく世界で、二人は飽きもせず立っている。
END
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