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青く波打つ海に、西へと進路を取る一艘の船がある。南部アールセン地方の旗が見える、中程度の船。船はアールセンの港町スカベッルムから出航し、一時南下、西に舵を変え、無数の小島が連なるルトラ諸島の狭い海域を抜けた。今は、西部ティネア地方に続くジェマ湾に面した、ヌーミダ半島の西端までやってきたところ。
甲冑を纏った一人の女性が船室から出てきた。人気の無い甲板に主人の姿を探す。彼は船のへさきにいた。海を一人で眺めている、彼の横顔を見て、彼女は一瞬躊躇したが、勇気をだして声を掛けた。
「レクトール様。スフリール神殿は、この辺りだそうですよ」
「そうか」
レクトールが振り返った。
「海底に沈んだ神殿なんて、神秘的ですよね。しかも、アールセンとティネア地方を結ぶ海底洞窟になっているなんて」
「そうだな。太古の地底変動で海の底に沈んだそうだが・・・。今尚、その姿を保っている。神のご加護あってのものだな」
彼は、にっこり微笑んだ。
(よかった。・・・いつものレクトール様だ)
彼女は声を弾ませる。
「スフリール神殿は、一体、どんな場所でしょう。是非、訪れたいものですね」
「ああ。太古の人々の信仰の跡というのを、この目で見てみたいな・・・」
神秘の神殿が眠る海。レクト−ルは海を見つめる。彼女はその隣、少し後ろに距離を置いて、同じように海を見つめる。
風の向きが変わり、煽られた帆が音を立てた。彼女、レイラは空を見上げる。
「レクトール様。ここの空は、ぼんやりとした薄い空だと思いませんか?」
レクトールも顔を上げる。
「この時期のフェ−リスの空は、もっと青くて。眩しいくらいですよね..」
フェ−リスの夏は美しい。緑は萌え、肥沃な大地は生命力に溢れる。やがて迎える実りの秋に向って。オウィス島の北の空は、草の生えない白い岸壁が続く海岸同様、どこか物寂しい。
「 やはり、フェ−リスが一番ですわ」
レイラが何とは無しにつぶやいた。
「今年は気候に恵まれましたから、秋の感謝祭は盛大なものになりそうですね」
そう言ってから、レイラは自分自身を戒めた。レクトール様に何処までも付いて行くと決めながら、故郷が恋しいような事を言ってしまうなんて。
「感謝祭か」
レクトールは目を細め、何かを思い出しているような顔をした。
「その頃には帰れればいいな。しかし、まだ、時間はかかるだろう」
船が出航した数日前から、ラーヌンクルスの不穏な動きは沈静化している。アールセンとラーヌンクルスの境界に位置するフォルミド−砦。一時は、ここを拠点としていた白牙騎士団であったが、すでに砦にその姿は無い。騎士団派遣の目的は南部アールセン地方の安全を守ること。北のラーヌンクルスがこのまま撤退すれば、それで任務は終わるはずである。
しかし、今、レクトールと彼の親衛隊は、本隊と分かれ、西のティネア地方を目指している。人目をはばかるように、夜に出航した。聖炎騎士団の旗も掲げず。
レイラはレクトールが西へ向う理由を知らない。しかし、理由など彼女には必要無い。
「今日の内に、ティネア地方に入れればいいですね」
レイラが話題を変えた。
「西に広がる雲が少々気になりますし。この先、ひどい嵐にならなければいいのですが」
「そうだな・・・・・・」
レクトールは海を見ながら、ぶっきら棒に答えた。別の物思いにひたっているかのように。
「最西端の町と言えど、割と、大きな町のようですね。貿易が盛んだそうですし」
「ああ」
「久しぶりに、陸地に早く上がりたいですね」
「・・・・・・」
「・・・・・・もう、そろそろジェマ湾に入ります。ジェマ湾は潮の流れが複雑です。そろそろ、中に戻りませんか?」
レクトールは振り返った。そして優しい目で微笑んだ。
「いや、俺は、未だここにいるとしよう。先に戻っていてくれ..」
会話が途切れた。レクトールは海に目を向けている。沈黙が流れる。レイラは主人の後姿を見つめる。
心、ここにあらず。レイラも承知している。明るく振舞うのはレクトール様の優しさ。本当は。その胸を苦しめているものは。ため息をついた。今は、時が流れ、悲しみが思い出に変わるのを待つしかない。レイラは頭を下げ、その場から去った。
レクトールは海を見つめていた。飽きもせず、東に広がる水平線を。
(あの日も、こんな日だったな)
レクトールは思い出す。
(風も強くて)
彼の金色の髪が風に乱れる。
(ただ一つ違うのは、あいつがいないことだ・・・・・・)
レクトールは唇をかんだ。
フォルミド−砦から戻った部下は、アルフォンスの死を伝えた。敵の罠にかかり捕らえられ、拷問の末に殺された。彼は始め、その報告を信じなかった。なにせ遺体は見つからなかったのだから。たとえ彼の、レーエルの家紋入りの短剣を、遺品として渡されたにしても。砦に現われた、ラーヌンクルスの騎士を名乗った男、その男が彼を殺したと証言していたとしても。荒れ狂う海に呑まれた時も生きていた。あんな悪運強い人間が死ぬ訳がない。きっと、からくもその場を脱出し必ず生きているはずだ。しかし、彼の父親がよこした密偵、ーあの男は信頼できないが、もたらす情報だけは正確であるーまでもが、彼の死を告げた。もう無駄な捜索はおやめなさい、と。レクトールの望みは断ち切れた。
(どんな思いで死んでいったか?)
レクトールは、それを思うと辛い。拷問され、酷い仕打ちを受け、苦しみながら死んでいく。
(あいつは、最後まで俺を待っていたのだろうか?)
これが、現実とは思えない。悪い夢を見ているようだ、と人はよく喩えるけれど。頭ははっきりと、冬の空のように冴え冴えとしている。しかし、心のどこかが空虚。
結局、助けは来なかった。あいつは死んだのだ。
(俺の事をどう思いながら死んだのだろう。.あいつは俺を許してくれるかな)
「レクトール様」
自分を呼ぶ声にはたと気付いて、彼は振り返る。彼の年老いた忠実な部下が、心配そうな顔をして立っている。
「オーソンヌ、お前もか!」
レクトールは眉をしかめて見せると、笑った。
「俺はもう大丈夫だよ。どうやら、みんなに心配かけさせてしまったな」
「皆、レクトール様をお慕いしているのですよ」
オーソンヌはレクトールの隣りに並んで立った。
「大切なご親友を失ったのです。胸中、お察ししております」
二人は共に、海の彼方に目を向けた。
「オーソンヌ。別れというのは、突然訪れるものだな」
レクトールがつぶやいた。
「いつ死ぬかわからない。それが戦場の掟とはいえ。こんな形で、あいつを失うことになるとは、思ってもいなかったよ」
「人の命は儚いもの。だからこそ、生ある者は、今、一瞬一瞬を大切に生きなくてはならないのでしょうな・・・・・・」
高波にのりあげた船が、大きく縦に動いた。やがて揺れが収まると、船に静けさが戻る。レクトールは甲板の手すりを握りしめた。そして、絞り出すように、言葉をもらした。
「俺がもっと早く動いていれば。助けられたかもしれない」
「レクトール様。こう申すのも難ですが..」
オーソンヌは続ける。
「作戦を無視し砦を攻めたのはアルフォンスです。レクトール様は、本隊の到着を待てと仰った」
「あれは人質をとられていたんだろ。仕方がない」
「戦いとは、非情なもの。その一瞬の甘さで、仲間を犠牲にしてしまう時もあるのです。軍法を無視し、功を焦って失敗した、と責められても、文句は言えませぬ」
オーソンヌは、うつむいたままの主人を見つめた。
「それに、レクトール様はやれるだけの事をなさいました。報告を受けた後、すぐに救援部隊を砦に送ったではありませんか」
「しかし、間に合わなかった」
「それは、そうなる運命だったと思うしかありません。あの時、我々本隊はフォルミド−砦に向う事ができなかった。グルッソスの森で予想外の被害を出してしまった。退くしかなかったのです」
(違う!行けなかったんではない。行かなかったんだ!)
レクトールは口を固く結び、拳を強く握り締めた。
(俺は、あいつを見捨てたんだ!)
レクトールはあの時の決断をまざまざと思い出す。
アレを、誰にも渡すわけにはいかない。アルフォンスなら、俺が合流せずとも、きっと!
それは甘い考えだった。フォルミド−砦の戦い、そのものが罠だったのだ。しかし、罠であろうとも、本隊が合流していれば、こんな事にはならなかった。父上の密偵が、あの時もたらした情報さえなければ。迷うことなく!・・・・・・いや、あの情報は必要だった。アレを手にするために。
自分の野心のために、友を捨てた?
(違う!あの時は、ああするしかなかったんだ!)
甲板に、レイラが再び姿を見せた。
「レクトール様。船長が潮の流れがそろそろ速くなり危険だと。どうぞ、中の方へ」
「そうか」
レクトールは答えた。オーソンヌは、中に戻るよう促しながら言った。
「レクトール様。過去とは、すでに過ぎ去りしもの。今はただ変わり行く時の流れを、未来だけを見ていましょう」
三人揃って、船室に向って歩きながら、レイラはレクトールに告げた。
「この天候であれば、ウロデラ岬に日が沈む頃には到着するそうです」
ウロデラ岬の西の空に、太陽が沈もうとしていた。なだらかな丘へと消えていく太陽。アルフォンスのいるウロデラ岬の町の港も、夕暮れ色に染まっている。
(輝きの海か・・・・・・)
心騒がせる、美しい夕焼けを眺めながら、アルフォンスは人魚の聖域があるという、海を想像する。
(きっと、美しい場所だろう)
西の果てにある海。黄金色に染まる海。忘れられた聖域。
「面白そうだな、アルフォンス」
ラーナ海域への船の手配のため、漁民との話を終えたシビュラが後ろから声を掛けた。
「未知の世界への冒険旅行は楽しいか?」
「楽しくなんか無いよ。ラーヌンクルスの件もあるし」
アルフォンスが慌てて答えると、目を平らにしてシビュラが言った。
「どうだか」
「で、どうだったの?」
「だめだ」
二人は埠頭を歩きながら、話を始める。
「今は天気が良いが、もうすぐ嵐が来るそうだ。船は出せない。他をあたろう」
「嵐の季節が終わるまで、待った方がいいんじゃないか?」
「そうはいかない。ラーヌンクルスが、すでにこの町まで来ている。一刻の猶予もない。それに、いよいよともなれば、私の魔法で一時的に嵐を静めることもできる」
「へえ、すごいなあ」
「彼等が本当に気にしているのは、嵐ではない。人魚だ」
「人魚?」
「彼等は人魚を恐れている。人魚の聖域に侵入しようなどと、彼等にとっては、とんでもない話なのさ」
「そう」と、アルフォンスが相槌をうつのを横目で見ながら、シビュラは言った。
「アルフォンス。お前が人魚をどう思っているかは知らないが。只の女の集団、となめてかかれば、死ぬぞ」
「単に、話を聞きに行くだけだろ」
「向こうが、どう思ってくれるかはわからない。人魚の寿命は、人間よりもはるかに長い。数百年前の戦いを実際に経験し覚えている人魚もいるはずだ」
「・・・・・・」
「とにかく、人魚達が友好的に我々を迎い入れてくれようなど、甘い考えだけは捨てるんだな」
シビュラは海に視線を向けながら言った。
「船を早く見つけないとな」
二人は、道を急いだ。
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