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女が一人、夜の岬に立っていた。街から遠く、森からも離れた、はげた岬の先端だ。
「シウェン」
静かに。しかし、よく通る声で、彼女は彼女の影を呼ぶ。
「その後、ラーヌンクルスに動きは?」
闇から、すっと黒装束の男が姿を見せる。
「ウロデラ岬にいた部隊は街を離れ、東に撤退したままです。増援部隊の到着を待っている模様」
「西へと動く気配は」
「ありません。しかし、例の魔術師が、アルデア湖付近で目撃されました」
「そうか・・・・・・」
あいつらが出てくると厄介だな、と言って、彼女は目をつむる。
片膝をついた男は顔を上げ、報告を続ける。
「フェ−リス公のご子息殿は、東に戻られるようです。一昨日、出航し、針路を東にとっています」
「あの方も、教会から苦情を言われる口実を作る訳には、いかないだろうからな」
ふっと、彼女は笑みをもらした。
「その代わり、本隊から離れた別働隊が、すでに西へと向かっております」
「結局、現地の者は、船に乗ったのか」
「いえ。数名の騎士と、スカベッルムから雇った船員だけです。但し、騎士の中に、海賊上がりらしき男が混ざっているようです」
「ラーナ海域には不慣れでも、海は心得ている、ということか。しかし、それだけで聖域が見つかる、となれば話は早いがな」
彼女は、眼前に広がる、黒い海の彼方を見つめる。
「船を出すだけなら、我々もすでに行っている。しかし、発見できなかった。彼等がその謎に気付いているかどうかは疑わしいさ」
黒い海に、ぽんわりと浮かぶ光。二つ、三つ有る。嵐の切れ目を狙って、東へと急ぎ帰る交易船の明かりだ。夜空は、雲に隠されている。
その代わり、今夜の星は海に輝く。
「陽が沈む、輝きの海か・・・」
シビュラはそうつぶやき、思い出したように唇に笑みをにじませた。
「シウェン」
「はい」
「私は、彼に冷酷な女だと言われたよ」
彼女が振り返る。
「人魚を囮に使うなど、”可哀相”だというんだ。・・・・・・ローディスの騎士が、だぞ。おかしな話だと思わないか?」
男は彼女の顔を見上げる。彼女は、さも愉快そうに、ふっと笑う。
「本当に、・・・・・・変わったヤツだ・・・・・・」
「恐れながら」
と、シウェン。
「何故、彼に任したのですか?」
「任せてはいないさ」
彼女の顔から再び笑みが失せ、両腕を組み直す。男を見下ろし、言う。
「彼が首尾良く、情報を持ち帰れば良し。しかし、失敗し、命を落としたところで、私の知った話ではない。所詮、その程度の男だったというだけだ」
凛とした、目を細め。
「それに、手掛かりは人魚だけでは無いだろう」
「はい」
「大きな口を叩いたんだ。お手並み拝見だ」
雷雲が連れてきた、冷たい残り風が岬を過ぎる。さらさらと彼女の前髪を揺らす。
「ところで、彼女達は?」
シビュラが話を変える。
「順調に。このまま行けば、明日にはウロデラ岬に到着するでしょう」
「・・・・・・全ては、フィラーハの御心のままに、か」
彼女は、独り言のように、つぶやく。遠くには、メレアグリスの高い山脈の影が続く。
「彼女を味方につければ、いろいろとやり易くなる。彼は、運だけは良いようだな」
「さて」と、シビュラ。
「これから、の事だ。お前は彼の元に行け。私は、この街に残り、ラーヌンクルスの動きを封じる」
「彼の下に付け、と?」
「そうだ」
男が落ち着いた低い声で尋ねれば、彼女はうなづく。
「このまま行けば、彼女は彼と再会するだろう。そうすれば、危険な道中に付き合うとも言いかねない。彼女さえいれば、人魚の聖域に辿り着く可能性は高くなる。が、もし失敗し、彼女の身に危険が及ぶようであれば、彼女を救い、無事に連れて帰るのだ」
シビュラは薄く笑った。
「彼女は必要な人間だからな」
「では、彼女が彼と共に行かぬ時は、彼の元に行く必要はないのですね」
「ああ・・・・・・」
と、シビュラは即答する。何食わぬ顔で。しかし、少し間を置いてから、
「いや。彼に力を貸してやれ」
と、男に背を向けた。
「多少の情けをかけてやってもよかろう。但し、その才が無いと、お前が判断した時は見捨ててもよい」
「わかりました」
「それに、本人が拒めば無理強いをするな」
「はい」
「行け」
「はい」
男は深々と頭を下げると、ふつとして闇に消えた。
昼のウロデラ岬の街は、いつもながら活気に溢れていた。嵐の季節が到来し、人通りはかなり減っているが、道を挟んで並ぶ露店からは、逞しい商人達の息遣いが聞こえる。空をどんよりと覆い尽くす白雲に、負けてはいない。
街の通りの、露店裏の狭い空間である。雑踏から逃げるように、大きくて重そうな荷物を背負いながら、とぼとぼと歩く少年がいる。体はうつむき気味で、表情は複雑。眉間に皺を寄せ、何事かに腹を立てているかと思えば、急に眉を下げ、肩を落とし、悲しい顔をする。ころころと表情を変える。しかし、明らかに、何事かに思い悩んでいる風である。足取りは頼り気ない。
シビュラと別れて二日目の昼を、アルフォンスは、そのように過ごしていた。
時を少し戻す。
あの嵐の小屋で、彼はシビュラの計画に異議を唱え、彼女から、お前のやり方を示せ、と告げられた。あの後、雨が上がるとすぐに、二人は共に宿に引き返した。彼女はさっさと荷物を片付けた。そして、別れ際、ティネア地方の簡単な地図と、ずしりと重い金の入った皮袋を彼に手渡し、
「じゃあな」
とだけ言い残し、足早に去っていった。
アルフォンスは、というと、このまま一人宿に残るのも気がひけたが、未だ、この街を十分知っているとは言えず、そこに残った。そして、夜遅くまで、地図と睨めっこをしながら、今後の計画を考えた。
改めて、今度の旅を、自分は真剣には考えておらず、全て彼女任せであったことに気付かされた。ロウソクの揺れる炎を見つめながら、これからのことを思うと、不安になった。
それでも、朝ともなれば、アルフォンスは持ち前の前向きさを取り戻し、やる気をみせていた。早速、夜に立てた計画を果すべく、開店したばかりの街に出た。
まずは、人を雇うことである。仲間が必要だ。未開の大地を単独で進むのが、どんなに危険であるか、彼にだってわかっている。
一人では無理だ。現地の状況に詳しい人間を、そして、魔獣の楽園を進むとあらば、自ずと雇うクラスは決まっている。
早速、紹介所を探すが、なかなか見つからない。お目当ての看板は一向に見つからず、露店の売り子に尋ねる。街の外れの武器屋に併設されていると教えられる。
行けば、店は閉まっていた。定休日ということで仕方無く、明日また来ることにして、広場に戻る。
午後からは、聞き込みを始めた。ビソン湿原の情報を少しでも多く得なくてはならない。自分は、ほとんど何も知らないのだ。
広場を通り過ぎる現地の人間と思しき中から、目星を付け声を掛ければ、大抵、奇妙なものを見るような目で見られた。なぜ、ビソン湿原について聞くのか。その理由が全く理解できないように。
彼は、人魚の聖域に行くためとは言わなかったが、始めの内は、ビソン湿原に行きたいと本当の事を話していた。しかし、そう言うと、いきなり血相を変えて、そんな馬鹿な真似はするものじゃない、と咎められ立ち去られてしまうので、その内、ただ興味があるので、とだけに止めた。
他にできる事は特に無かったので、調査を陽が沈むまで続けた。しかし、結局、ビソン湿原には魔獣が多く住み、そこを移動するのは非常に危険で、そんな事をすすんでする人間なんて愚かだ、という在り来りな話だけで、新規な情報は得られなかった。彼等も話を伝え聞いただけで、ビソン湿原に実際に足を運んだ人間などいないのだ。
軽い疲労感を味わいながら、アルフォンスは再び宿に戻った。そして、宿の主人に、明日、この宿を出ると手短に伝え、早々に眠りに着いた。
二日目の朝。旅の荷物一式を背負い、宿を出た。湿原に入る予定は立っていなかったが、旅に体を慣らすため、そして何より、彼女が出て行ったにも関わらず居残る事に、不甲斐なさを感じて宿を出た。昨日までに、野宿ができそうな場所は見つけておいた。
旅の荷物は重いが、宿屋でなまった体を鍛えるには丁度良い。たったと、肩で風を切りながら、一直線に、街外れの紹介所に向かった。
武器屋の窓から、中の明かりが見えた。多少、緊張しながら、武器屋の扉を開ける。チリンチリンと扉にかけられたベルが鳴った。「いらっしゃい」と景気の良い声が迎える。
彼は狭い店内に高く積み上げられた剣や鎧の間を縫うようにして、店の奥に進んでいく。鋼のさびたような臭いや、薬草の怪しげな香り。どうにも、少しばかり埃っぽい店だ。ランプの光に灯された薄暗い部屋を歩いていけば、せせこましい部屋の一角に、中年の女が一人座っている。”紹介所”と書かれた札が見える。彼は、彼女に声を掛けた。机に向かって書き物をしていた彼女が、ゆっくりと顔を上げて口を開く。
「働きたいのかい?坊や」
一般的な常識から言えば、兵士の雇用所にやってきた、彼の年頃の少年に発せられた台詞としては、極めて妥当の線である。
しかし、彼は少なからずショックをうけた。その証拠に、彼は、「いえ」とだけ、うやむやな答えを残し、店を出てきてしまった。本当の用を打ち明けることもできず。要するに、彼はその一時、愕然としたのだった。
そして、彼は今、街を歩いていた。
店を出て歩き続けても、心の靄はなかなかとれなかった。
目的地もなく、ただ歩いていた。
彼は考えていた。
レクトールの後ろ盾があったからこそ、部隊の隊長になれたんだ、と。
自分のような子供の下で働きたいと思う人間が、どこにいるんだ、と。
金は十分にある。部隊を編成できるぐらい十分に、だ。
しかし、雇う側には全く思われない、相手にもされないんだ。
今まで、レクトールに守られていた。彼に甘えていた。
そして、今度はシビュラに頼っていた・・・・・・。
たった一人になって、自分の弱さを。
自分一人では何もできないんじゃないか?!
しばらくの間、ひたすら歩き続けて、ふと我に返った。腹が減った。何時の間にか、広場に出ていた。近くで美味そうな香りがした。大きい鍋から、もくもくと白い湯気がたちのぼる。彼は露店で、牛乳で煮込んだ粥を買った。茶色いシナモンのパウダーを、その上にかけてもらう。露店から、少し離れた広場の階段になっているところに腰をおろした。粥をすすった。何だか、甘い味がした。
粥の暖かさを味わいながらも、一息に食べ終えると、アルフォンスは大きな荷物の中を漁り出した。彼は地図を広げた。再び考えを始めた。
ビソン湿原の地図すらない。
あるのは羅針盤と、このシビュラからもらった、島の大まかな海岸線を示した地図。
そして、己れの勘。
(バカなことを言ったもんだな・・・・・・)
弱気な思案が不意に涌き出た。すぐに彼は頭をぶんぶんと振る。
起死回生のアイデアをひねりだそうとするが、出てくるのは溜息ばかりだ。
せめて、空がからりと晴れていれば、救われるものを。ぐづついた空は、今にも泣き出しそうだ。
(結局、地道にやるしかないな・・・・・・)
何はともあれ、ビソン湿原の情報を仕入れることだ。街の人々に尋ね歩き。実の有る情報がすぐに得られぬとわかっていても。
剣の、戦いのことなら気が乗るが。地味に延々と聞き取り調査を続けるとなると、うんざり・・・・・・。いやいや、そんなことを考えてしまうから、自分はガキなんだ。
そして、また、紹介所に行こう。変な顔をされても、相手にされなくても、気にしてはいけないのだ。
それしか道は無いのだから。
と、ぽつりと。
頬に冷たい水滴が落ち、続けてぽつぽつと、雨が降り始める。アルフォンスは、大急ぎで地図を畳み、雨宿りの場所を求めて、街に走る。
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