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「トゥーリー、カァーモー!」
湿原に響く、彼女の威勢の良い掛け声。
と、辺りは忽ちバサバサと、翼をはためく音で騒然となる。湿原のしじまを破る轟音。
大きな翼は力強く空気を切り、ブワリと巨体が宙に浮く。
そして、ドラゴンは除々に加速度を増していき、一気に空に舞い上がった。
もう下には、緑生い茂る湿原が広がっている。
「どう、アルフォンス!ドラゴンの乗り心地は?慣れた?」
前で、ドラゴンの手綱を握るドラゴンテイマーが愉快そうに声を掛ける。後ろに座ったアルフォンスは、ドラゴンの羽音に負けないように、大声を出す。
「快適とは、言えないけど!」
ドラゴンが翼をばたつかせる際の突風で、すっかり髪がぐちゃぐちゃだ。
「ここから見る景色は素晴らしいよ!」
「でしょう!」
彼女が調子を良くして、さらに上昇すれば、アルフォンスは手綱をしっかり握り締める。
彼女のドラゴンが、たとえ、雲に届くほど飛べないとしても、人の手からなる塔のてっぺんまではあるだろう、高さまで飛んでいるともなれば、そこからの眺めは、実に壮観である。緑の湿原が見渡す限り、果てしなく広がっている。
低い木が、ぽつんと一本ずつ生えている。その間をぎっしりと埋め尽くす緑が全て葦だとは、空から見る限り、考えつかないだろう。くねくねと複雑に折れ曲がる、か細い川は、やがて海へと繋がっている。
彼等の後ろには、もう一匹のドラゴンに乗る二人の騎士がいる。イナンナが連れて来た騎士だ。さらに、イナンナはプリーストの連れと一緒にグリフォンの背に乗っている。ライオンの胴体に鷲の頭と翼を持つ魔獣、グリフォン。ドラゴンよりも高く飛べるうえ、黄金色の毛はふっさりとしている。正直に言えば、こちらの方が乗り心地は上か。
魔獣達の胸や腰には、各々、部隊のための重い荷物が巻きつけてある。
ビソン湿原に入って三日になる。天気はずっと悪かった。大粒の雨に、吹き飛ばされそうな突風に苛まされながらの強行軍だった。イナンナは、この嵐を”風の渦”が留まっているのだ、と言っていた。
空の旅と言えども、そう旅の進行は早くはなかった。ドラゴンは長時間飛び続けることができないから、飛んだ時間とほぼ同じくらい、地上に降りて翼を休める時間を必要とする。そのため、道程は遅々としたものだったが、徒歩の旅を思えば、遥かに悠々とした旅に違いない。
今日は久方ぶりに、雨が止んでいる。空にたなびく白い雲の隙間を縫って、わずかながらも青い空が覗いている。雨で体を冷やすこともなく、空気は肌寒いが、気分はかなり楽だ。
「私、とても嬉しいのよ。雇ってくれて」
ドラゴンテイマーのティートの声は弾んでいる。
「ビソン湿原に、ずっと来たかったんだ!でも、いろいろ準備がいるし、仕事でなきゃ、そんなことできないでしょう」
向かい風が、彼女の長い髪をたなびかせている。
「この子達も、喜んでる。いつも、狭い檻の中で・・・・・・。遊ばせるといっても、森の中くらいだったから。こんな大自然にこれたのだもの。嬉しくてたまらないみたい。機嫌がずっといいわ」
アルフォンスは、風で顔にかかる髪を抑えながら。
「普段は、君は何を?」
「街の店でいろいろと手伝い。この前までは、食堂で働いてた。この子達と一緒にできる仕事があればいいけど。そう上手い話は、なかなかこないからね」
「ドラゴンテイマーも大変だな」
「だから、今回の仕事は、待ちに待ってた仕事だったの!」
彼女が余りにも嬉しそうに話すので、アルフォンスは少し気になってしまう。
「未だ、危険な目には遭っていないけど、この先、魔獣に襲われるかもしれないよ。それに、人魚達と戦いになるかもしれない」
「大丈夫かい?」と、彼が心配そうに尋ねる前に、彼女が大声で口を挟む。
「任せといて!私のドラゴンは、未だ若いけど強いから!」
今更ながら、シビュラの自分に対する不安が何となくわかる、と、彼は思った。
それにしても、ティートは、妙に明るい所といい、気丈な所といい、グレヴィスにどことなく似ている。どうも自分は、気の強い女性とばかり縁があるらしい。
「でも、ローウェルの方がもっと。気が狂わんばかりに喜んでいると思うわ」
アルフォンス達のはるか前。米粒のように小さく見える。黙々とグリフォンの背に乗る、ビーストテイマーである。
「そうは、見えなかったけどな?」
「彼。嬉し過ぎると、口数が減るのよ!」
と、アルフォンスの方を振り返って、にんまりとする。
「只でさえ、無口だけどさ。見てよ。今頃、眼下に広がる魔獣の楽園を、一人でうっとりしながら眺めているのよ!」
彼女は声を出して笑った。
アルフォンスは、彼女の明るさに押されつつ、ゆっくり息をついて、周囲の光景に目を向ける。
北を見れば、広大な湿原の彼方に、山脈の薄い影が広がっていた。靄がかかったように、灰色にぼやけ、揺らいでいる。
その時、身を切るような北風が吹いた。寒さに、一瞬、身震いする。
心も凍えるような不気味なまでの冷気を、北から感じるのは、気のせいだろうか・・・・・・。
「ねえ!」
ティートの呼ぶ声に、はっと我に返った。
彼女が前方を指差している。単独で先を飛んでいたビーストテイマーが、こちらに引き返して来る。
二人を乗せたドラゴンは前進を止め、空中で彼が来るのを待った。渋い顔をしてビーストテイマーが近付いてくる。
「どうかしたの?」
「何か、おかしい」と、ビーストテイマー。
「静か過ぎる・・・・・・」
彼は言う。何時の間にか、野獣達の声が、ぴたりと聞こえなくなった。何かを強く警戒しているようだ、と。
「俺達に対してですか」
「わからない。ただ、このまま空中に居るのは危険だと思う」
「では、地上へ?」
「ああ」
ビーストテイマーが乗るグリフォンに続いて、一向は地上へと下降した。そして、先に下りたグリフォンが足を踏み踏み、安全を確認した地面に、次々と着地した。
確かに湿原は静かだった。鳥の声すら聞こえない。葦を掻き分ける音がやけに響いて、嫌が上でも警戒心を呼び起こす。
異様な気配を察してだろう、グリフォンは目を鋭くとがらせていた。ビーストテイマーは、優しく、ふさふさとしたグリフォンの頭の毛を撫でる。
「アルフォンス、どうしますか?」
グリフォンから降りたイナンナが尋ねる。
「しばらく様子を見て、ここに留まるか。このまま、進むか」
「様子を見ても変わらないさ」
と、後ろで、ビーストテイマーが、あっけらかんと言った。
「これから先、ずっと空気が緊張している。進むしかないと思う」
「私も同じ意見よ」
ドラゴンテイマーが言った。地上に降りて、異変に感づいたのか、表情を厳しくしている。
「残念だけど、戦闘になるのは避けられないと思う・・・・・・」
「わかりました」
アルフォンスは一同を見渡して、
「進みましょう。ただ、戦闘になる覚悟をしていて下さい。警戒と準備を怠らず・・・・・・」
再び、魔獣達の背に乗り、背高い葦に触れるくらい、すれすれのところで、低空飛行を始める。
間隔を狭めて一塊に。先頭にビーストテイマー。間にイナンナ達を挟んで、一番後ろにドラゴンテイマーとアルフォンスが乗るドラゴンがつく。
ドラゴンとグリフォンは緩やかに翼を動かして、大きな音を立て過ぎないように努力した。
きんとした張り詰めた空気だけが、しばらく漂った。
翼の音だけ。静かだ。
「アルフォンス・・・・・・」
長い沈黙の中、ティートが小さな声でつぶやいた。
「戦いたくないなんて、甘いことは言わないわ・・・・・・」
元気が無い声だ。
「でも、彼等の土地に無断で侵入しているのは、私達の方なのよね」
アルフォンスは答える。
「俺もできれば戦いたくない。チャンスさえあれば、逃げようと思う。・・・・・・逃がしてくれれば、だけど」
魔獣の一匹や二匹、撃退することはできよう。けれど、最悪の場合、仲間を呼ばれでもすれば?ここは魔獣の楽園。キリがない・・・・・・。
「君にもわからないのかい?湿原が静かになった理由」
「うん。・・・・・・ただ、以前にも感じた時がある。この圧迫感・・・・・・」
彼女は背中を向けたまま、途切れ途切れに話を始めた。
「本国に併合されてから数年後、・・・・・・私は未だ小さかった・・・・・・、ローディス人が湿原にやってきたことがある。未開の大地を開拓すると称して。・・・・・・でも、本当は、この湿原のどこかに眠る財宝を探しにきたそうよ。何百年も昔、この湿原に住んでいた人魚達の」
「・・・・・・人魚の宝は、見つかったのかい?」
「ううん。結局、探索は失敗に終わった。財宝を発見するどころか、湿原の中央部にすら辿りつくことすらできなかったそうよ。彼等は湿原をなめていた。で、何の収穫も得られなかったローディス人が代わりにしたこと。・・・・・・それが、ドラゴン狩りだった」
彼女の声が一層、重くなった。
「たくさんのドラゴンが殺された。ウロコや皮をはがされて、牙や骨も・・・・・・」
「生活のためにドラゴンを殺す人間を、私は否定できない。・・・・・・でも、ドラゴンに対して、何一つ敬意を払わず、無差別に殺していくなんて。・・・・・・私のドラゴンは、一人では未だ生きていけない時に、親を殺されてしまったのよ。・・・・・・ただ、悲しいのよ・・・・・・」
一呼吸、彼女は置いた。
「ドラゴンの怒りは北風にのって、私達の街まで届いた。この空気は、あの時感じた空気と、どことなく似ている。欲深い人間達への憎しみ」
風が強さを増してきた。巨大な雲は物凄い速さで流されていき、青空を隠していく。闇と、心も凍えるような冷たさを北風はつれてくる。
「ドラゴンは人間を軽蔑している。幾ら、綺麗ごとを言ったって、人間の汚れた本性を見抜いているからよ・・・・・・」
と、彼女がつぶやいた。
そして、押し黙ってしまった。
再び、沈黙。
森のように生い茂る葦は、魔獣が隠れ潜むには、絶好の場所だ。前を飛ぶ騎士達は、鞘を抜いた槍を小脇に抱え込み、不意の襲撃に備えている。アルフォンスもまた、周囲に注意を払い、何時でも剣が抜けるように右手を剣の柄にあてている。
澄み切った川の水面に落ちる影が、風にちぢりと乱されていた。
彼女が思い出したかのように、口を開いた。暗い話をしてしまった後で、無理に明るい声を出そうとしているようだった。
「さっきの事だけど・・・・・・。一つの可能性として。私達のほかに、別の人間がここに侵入しているのかもしれないわ」
真っ先に、アルフォンスの脳裏に浮かんだのは、ラーヌンクルスの騎士達だった。彼女やビーストテイマーには、ラーヌンクルスの件について、全く喋っていない。
「湿原に入ってから、ちらほらとドラゴンの姿は見えてたのよ。気付いてた?」
「いや」
「彼等は見てみぬフリをしてくれていた。・・・・・・人間である私達を、必ずしも敵と考えていないのよ」
彼女の声に確信に近いものを感じる。
「さっき迄は、そうだった。でも、急に空気が変わってしまった。湿原で何かあったのかもしれない。ドラゴンや魔獣達を怒らせる何かが・・・・・・」
葦の森を眺める彼女の横顔が見えた。
「ドラゴンは、本当は優しいのよ。高潔で気高くて。お互いを尊重し合う。人間のように、己れの権力や欲望のために、同族を虐殺するような真似はしないわ」
「・・・・・・」
アルフォンスは何も言わなかった。ティートは後ろの様子を察してか、慌てながら言った。
「・・・・・・ごめんなさい。変な話をしたわね。こんな非常時に・・・・・・」
二人は口をつぐんで、空をまた飛び続けた。
「来るぞ!」
先頭のビーストテイマーが叫んだ。
と、葦を次々になぎ倒して行く轟音。
突如、赤いドラゴンが飛び出す。ゴウと恐ろしいうなり声をあげて。味方のドラゴンの二倍近くもあろう巨体が、前を行く二人の騎士に、一直線に襲い掛かる。騎士が長槍を突き出すものの、あっと言う間だった。強烈な勢いに負け、槍はドラゴンの腕に突き刺さるものの、ドラゴンもろとも押し倒され、葦原の中に落下していく。
すぐに、アルフォンスの乗るドラゴンは上昇した。ティートの操縦で、横に傾きながら急旋回する。そうして、からくも、続いて現れたドラゴンが吐いた赤い炎を避けた。が、避けた先から、今度はまた別のドラゴンが、牙を剥き出しにして正面から向かってくる。ティートのドラゴンは臆することなく、そのまま飛び続け、体当たりをかました。
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