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]\ 嫉妬 前編 


 嵐の後には、起きたばかりの青い空に、ばらばらに引き裂かれた黒い雲が漂う。そのわずかな切れ端さえも、輝きを取り戻しつつある陽の光にかき消されていき。
 西の空は晴れる。
(今日の夕焼けはキレイだろうな)
 紫の柔らかい髪が、風にそよぐ。光に照らし出される、淡い桃色の魚の尾っぽ。
 アレーナ島の海辺の岩に腰掛けて、一人の人魚が、飽きもせず、西の海を眺めていた。未だ、陽は空の高みにあったけれども、西の空が華麗に光り輝くその時に、心浮き立たせながら。

 長い間、空を支配していた風の渦はようやく消えた。
 荒れ狂う海上に比べれば、嵐の届かぬ海の底は穏やかである。しかし、海は真っ暗になってしまうし、海中に閉じ込められてしまうのでは、すっかり気が塞いでしまう。
 嵐が止むと、すぐに彼女は海上に出て、新鮮な空気を思い切り吸った。澄み切った風が、爽やかで気持ち良かった。
 それで彼女は、人魚の聖域からほんの少し遠出をして、お気に入りの場所にやって来たのだった。
 緑の苔原の上に、夏の終りを告げる、ワタスゲの白い綿毛が島全体に咲き誇る。
 ここから見る聖域は美しかった。夕陽が海に沈んでいく様。
 年若い人魚は、その美しい声で、海を讃える詩を歌った。
 
 海に 夕陽が沈む 
 光は 海に溶け込み  
 海は 黄金色に染まる
 輝きの海
 そこは暖かい 私たちの家
 


 ラーナ海域を望む西の浜辺に、ばらばらと人の姿がある。この地域では、とても珍しい光景だ。ドラゴンとグリフォンを連れた人の部隊がやって来るなど、数百年ぶりのことである。
 遂に、アルフォンス達は、深い葦繁るビソン湿原を抜けて、島の西海岸に辿り着いていた。
 じめじめとした湿原から脱出しただけでなく、ほぼ毎日悩まされてきたどしゃ降りの雨からも、ようやく解放された。嵐の季節も終りを迎えたようで、穏やかな秋の到来を予感させる、清々しい青空が広がっている。

 海を眺めながら、無言で考え事をしているイナンナの隣りには、アルフォンスが立っていた。
「・・・・・・どうですか?」
 彼女の様子を伺いながら、彼が口を開いた。
「人魚の聖域について、・・・・・・『輝きの海』を歌った詩に、何か覚えはありませんか?」
 彼は、彼女から、人魚にまつわる詩が、バトラール家に幾つか残されていることを知った。そして、一縷の望みを託して、先程、尋ねてみたのだった。
「聞いたような気もするのですが・・・・・・」
 晴れた空と同じように青い海に目を向けながら、しばらく考え込んでいた彼女であったが。
「思い出せません。なにせ、子供の時分の話ですからね」
 と残念そうに言い、イナンナは眉をひそめた。
「そもそも、人魚について話すことは、バトラール家ではタブーでしたので」
「そうですか。・・・・・・やはり、手掛かりは無しか」
 アルフォンスは、そうつぶやいて、水平線に再び目を向けた。
「アルフォンスー!用意ができたわよー」
 下で作業をしていたドラゴンテイマーが、元気に声を掛けた。

 二人は海を見渡す岩の上から降りて、部隊の仲間の元に戻ってくる。
 ドラゴンテイマーとビーストテイマーは、部隊の荷物の移し変えを行っていた。今まで四匹に背負わせていた荷物を、ドラゴンとグリフォンの一匹づつに担わせる。荷物の番をここでさせるために。肩にも、背中にも、腹にも、どっぷりと荷物が縛り付けてある。流石に重そう。アルフォンスが、ドラゴンを指差しドラゴンテイマーに言う。
「大丈夫?」
「大丈夫!」
 きょとんとした顔をして、普段の二倍近くにでっぷりと大きく見えるドラゴンを、何処かしら可笑しく思いながら、周りに集まった部隊の仲間達に、アルフォンスが告げる。
「それでは、ここで分かれましょう」
 皆、非常用に軽い荷物を背負っている。もしもの時のために剣も携え。
「陽が沈む頃に、また、この場所で落ち合う、ということで・・・・・・」

 ビーストテイマーとドラゴンテイマーは、各々のグリフォンとドラゴンの背にまたがって、海へと飛んでいった。魔獣が飛べるところまで、ひとまず、海上を行ってみるとのことだった。
 イナンナは、二人の騎士と共に、海岸線沿いに北へと歩いて行く。
 アルフォンスとプリースト、そしてシウェンは、南に向かって歩き出した。
 未だ、何の手掛かりもない人魚の聖域を探すのであれば、分かれた方が効率が良いと、別行動をとることにしたのだった。

 溶岩質のごつごつとした岩が続く海岸は、かなり歩き辛い。
 アルフォンスは、プリーストであるテレマと並んで歩く。そして、人魚の聖域の場所について話し合っていた。アルフォンスが言った。
「西の海の『輝きの海』。もしかしたら、夕陽が沈む場所にあるんじゃないかな」
 テレマは、緑色の目をくりくり輝かせて。高い声で言う。
「でも、夕陽は一定の個所に沈むわけではないですよ。どこから見ても、西の方角に沈むのであって、見る所によって沈む場所は変わりますよ」
「まあね。それは、そうだけど」
 彼女の尤もな意見に、アルフォンスはすぐに付け加える。
「たとえば、特定の場所からとか。特定の日時に見る夕陽とか、さ」
「それは、あるかもしれませんね。でも、その特定の見当も付きませんね」
 うーんと、彼女は腕組み、考えてから。
「シウェン殿は、どう思われますか?」
 距離を開けて、二人の先を歩いている黒装束の男に、彼女が尋ねた。しかし、シウェンは振り向かなかった。テレマはアルフォンスの顔をじっと見る。
「アルフォンス殿。シウェン殿に無視されてしまいました」
 半べそのような顔を向けた彼女に、アルフォンスがフォローする。
「・・・・・・聞こえなかったんじゃないかな」

 シウェン。この男。かなり無愛想である。湿原を抜けている最中も、必要なこと以外は、ほとんど喋ることがなかった。忍びとは、元来、そういうものだろうが。こういう態度のままでは、彼を理解するのも難しい。

 しばらく三人は、そのまま歩き続けた。時折、海の彼方に目を凝らしてみたが、それらしい物は影も形も見えなかった。そこには、ただ広い、何もない海が広がっているだけである。
(ここからが本当の勝負だな)
 と、アルフォンスは気を引き締めた。
 聖域の場所がわからなくとも、人魚と出会えれば道は開かれる。
 皆には、人魚を見かけた場合、彼女達に見つからないよう隠れて様子を伺うように、と指示を出していた。もし、発見された場合も、戦わずに、逃げるようにと告げておいた。無益ないざこざは絶対に避けたい。どうやって人魚達に、こちらの気持ちを伝えれば良いものだろう。

 随分と先を行っていたシウェンが、アルフォンスの所に戻ってきた。
「アルフォンス殿。あれを」
 シウェンが、行く先を差した。ここから少し離れた所に浮かぶ小島。緑の森生い茂る向こうに、ちらりと不自然なものが見え隠れしている。
「・・・・・・船?」
 それは、船の白い帆に見える。
 アルフォンスの胸は、どきりと高鳴った。ウロデラ岬で別れた友の顔が浮かぶ。
「あの島に船が停泊している。幾人かの武装した騎士もいる」
「旗に紋章は?所属はわかるか?」
 アルフォンスがすぐに問いただす。
「いや。白旗に漁船と見せかけているようだ」
 側にいたプリーストが顔色を変えて、つぶやいた。
「・・・・・・ラーヌンクルスでしょうか?」
「わからない。とにかく、様子を探ろう」
「今なら、引き潮で陸続きになっている。近くまで行けるが・・・・・・」
「そうだな。・・・・・・行ってみよう」
 シウェンを先頭に、アルフォンス達は島へと向かう。
 
 岩陰に船の舳先が視界に入った時に、それとは正反対の浜辺の方から、微かに声がした。一度、そして、また。尋常でない声が。
「なにか、おかしいな」
 アルフォンスが小声で言った。岩陰に身を潜めつつ移動する二人に、手で合図を送って、声がした方に進路を変える。
 三人は、海側に急に迫り出した厳しい岩場の海岸線を進んでいく。苔むした黒い岩に手をかけ足をのせ、打ち寄せる波しぶきに、若干体を濡らしながら。
 岩の量が減り、開けた場所が見えてくる。声は、はっきりと聞こえるようになった。
 すすり泣く声だ。女性の。人魚がいた。
 岩ごしに見える風景の中に、大きな岩を背にした人魚が。体の所々を赤く染めて、ぐったりと座り込んでいた。肩をすくめて、体を丸めて、怯えていた。その人魚に非情にも、木でできた杖が振り落とされる。人魚は頭の側面をしたたかに打たれて、岩に頭を打ち付けた。言葉にならない声が上がった。
 
 人魚を追い詰めているのは、三人の男。
 鋼の甲冑で、頭の先から足下まで全身を覆い尽くす騎士の男と、盛り上がった筋肉を誇示するように、肩をはだけた薄着を着る海賊風の男。そして、青い法服を着た、ひょろひょろとした体格に、アルフォンスと同じ年頃のクレリック。
(ダミエル・・・・・・)
 彼等は、フェ―リスの、聖炎騎士団のメンバーであった。
「まだ幼い人魚のようだな」
 岩に隠れたシウェンが言う。
「・・・・・・あれは、俺の知り合いだ」
 眉間に皺寄せて、アルフォンスが言った。
「フェーリスの騎士・・・・・・」
 憤然としてつぶやく。
「なぜ、あんな事を・・・・・・!」
 
 クレリックは何事かを言って、騎士から長剣を受け取った。その刃を人魚の顔に近づけてから、剣を上にかざした。と、するりと手から剣が抜け落ちた。その剣は、そのまま落下していき、人魚の柔らかい尻尾に突き刺さった。
 悲鳴が。悲痛な叫び声が上がる。と同時に、げらげらと笑う声が。
 
「シウェン。頼む・・・・・・」
 シウェンが、ゆっくりとアルフォンスに顔を向けた。アルフォンスは、苦しそうに顔をゆがませている。
「彼女を助けてやってくれ。俺は、出られない・・・・・・」
「その必要はない」
 シウェンは、きっぱりと言った。
「直に、あの人魚は仲間を呼ぶ。聖域の手掛かりが掴める。好都合だ」
「シウェン!」
「それとも、貴殿は、故郷に反旗を翻す覚悟ができていないのか・・・・・・」
 アルフォンスは咄嗟にシウェンを激しく睨んだ。シウェンへの自分の非難が、不当だと知っていても。自分の急所を見事に突かれたことを。

 認めたくなかったのだ。
 レクトールと別れてから、ずっと考えるのを避けていたこと。レクトールがウロデラ岬にいた理由。レクトールの目的。
 今、レクトールの部下のダミエルが、ここにいる。
 認めたくはなかった。
 レクトールもまた、ラーヌンクルスの騎士や自分達と同じく、人魚の聖域を探しているのではないか。
 それを認めれば、彼は敵になってしまう!

「アルフォンス・・・・・・」
 目の前の惨状にプリーストの顔からは血の気がすっかり失せ、アルフォンスを見つめるしかなかった。
 人魚の悲鳴が浜辺に響いた。アルフォンスは大きく息を吐いた。
「シウェン。テレマを守ってくれ」
 彼は覚悟を決めた。
 岩をよじ登り、浜辺に姿を現した。





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