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「もう、槍は握れぬ・・・・・・」
うつむいたアエリアルは、赤く染まった右腕をだらりと垂らして、自嘲気味に笑った。
「さあ、殺せ。私を捕えたところで、聖域の場所は決して明かさぬ。私を生かしておいても、意味はないぞ」
目の前に立ちはだかるアルフォンスを見上げ、彼女はくって掛かる。
「さあ、早く、殺すがいい!」
「・・・・・・君は何故、そう簡単に死を選べる・・・・・・」
「何だと?」
淡々と自分を見下ろすアルフォンスの顔を睨みつける。
「君も戦士なら、死ねないはずだ。君がいなくなったら、誰が聖域を護るんだ?」
血を払い、彼は剣を鞘にしまった。
「俺は、貴女を殺すつもりはない」
彼女と目線を合わせるようにしゃがむ。
「頼む。・・・・・・貴女達の長に会えるよう、取り次いでもらえないか?」
アエリアルは大きく目を見開いた。
「情けをかけ、私を生かすというのか?ミネルヴァを殺しておきながら!お前達の魂胆は見えているのだ。私を虜にして聖域を襲うのだろう?!」
「彼女には気の毒なことをした。彼女を死なせるつもりはなかった」
「ふざけるな!」
彼女は左の拳で水面を叩く。
「言葉ならどうとでも言える!かりそめの言葉など!」
「貴女とも、本当は話し合いで解決したかった・・・・・・。今からでも、それが許されるというのなら、俺は、それを選びたい」
アルフォンスは腰に下げていた剣を鞘ごと取り外し、遠くへ放り投げた。剣は、二人から離れた岩場にガランと落ちる。
「もう戦いたくない。・・・・・・信じてほしい」
「甘い、甘すぎるぞっ!!」
アエリアルは叫ぶ。
「ここで遺恨を残せば、それは必ずお前の足をすくうことになる。恐れぬというのか?!再び私が、お前のその背に、この槍を突き立てるやもしれぬことを!」
「俺は貴女達に恨まれるだけのことをしてしまった。そうされても仕方ない」
「復讐を受け入れると言うのか。お前を脅かすかもしれぬ、危険の芽を摘まずに」
「未だ、俺は死にたくない。もし、その時が来たら、迎え撃つだろう。でも、その時が来ないことを祈る」
アエリアルは彼の言葉に二の句を継げずに、口を塞いだ。アルフォンスは立ち上がって周りを見渡す。
「早く、貴女の傷の手当てをしよう・・・・・・」
彼の左腕からも、彼女の傷に負けず劣らず、だらだらと血が流れている。彼女はそれを見ながら、言葉を吐き捨てる。
「人魚には負けぬというのか。生かしておいても・・・・・・。その甘さと情を捨てられぬ限り、お前は何も守れず、何も得ることはできないだろう」
雨は徐々に小降りになってきていた。遠くの灰色の雲の切れ目から、雨も終いの時の、微妙な色彩を帯びた空が覗いている。
二人の周りの人魚達は、傷ついてもなお、敵の側で倒れたアエリアルを助けようと、力を振り絞って槍を構えている。
その人魚達と、アルフォンスの間の海を、人魚の影が通り過ぎる。海面から一瞬、ピンクの魚の尾がでる。
アルフォンスの近くに来て、海中から姿を現した。
「二人共、そこまでです」
水に濡れた青の髪が、モスグリーンの上衣にかかる。武装はしていない。
「貴方が部隊のリーダーでいらっしゃいますか?」
「はい。アルフォンスといいます」
人魚の問いに、彼は答えた。
「我らの長が、貴方と会見するとおっしゃっております。私が、ご案内いたします」
「まさかっ!長が、クロウリィ様が!」
アエリアルが身を乗り出して、問い質す。
「アエリアル、長より伝言です。彼を客人として丁重にお迎えなさい、とのことです」
「なっ!」
「そして、傷の手当てを受け次第、彼と共に長の元に来るように、と」
アエリアルの顔に、暗い影がおちる。
「・・・・・・クロウリィ様が、そう、おっしゃったのか?」
「そうです」
「・・・・・・分かった・・・・・・」
重い声で返事をして、肩をおとした。後からやってきた人魚が、アエリアルに付き添う。怪我の治療をはじめた。
「ようこそ、アルフォンス。人魚の聖域へ」
人魚の使いは、アルフォンスの方を振り返ると、微笑んだ。
「肉を切らせて骨を断つやり方は、感心できぬな」
アルフォンスの手首の外側の、ぱっくり裂けた傷口に、丁寧にキュアペーストを塗りこみながら。シウェンが、ぼそりと咎める。
「そうだな」
上半身を裸になって、シウェンに治療を任せるアルフォンスは、素直に同意する。
「リーダーとしての責任不足だ。無鉄砲な戦い方はもう止めるよ」
(珍しく、殊勝な心がけじゃないか)
と、シウェンは密かに思う。二人の側には、服を乾かすために、焚火が燃えている。雨は止んでいる。先程、ティートが、未だ目覚めていないイナンナとテレマをドラゴンに乗せて船に戻った。
「みんなの命を預かっているのに・・・・・・・。イナンナも危ないところだった」
シウェンは傷口にガーゼを置き、包帯を巻いていった。そして、少しだけきつく包帯を締めた。
「つ・・・・・・」と痛みに、アルフォンスが片目を閉じる。シウェンは無言で、他の傷口の手当てを続ける。
雨は止んだ。散り散りになった灰色の雲が流れて行く。
「もし、イナンナが殺されていたら、あの人魚を殺していたかもしれないな・・・・・・」
アルフォンスは遠くを見ながら何気なく呟いた。治療が終わったのに気付くと、服を着た。
「ありがとう。シウェン」
彼は元気良く腰掛けた岩から立ち上がると、腕を軽く回す。
「じゃあ、行って来る」
「剣を持たなくて良いのか?」
「うん。剣を持っていけば、彼女達を信用していない事になる」
「もし、襲われれば?」
「その時は、俺がそれまでの男だったということさ」
アルフォンスは目を細めて軽く笑った。そして、シウェンを入り江に残して、彼を待つ人魚の方に走っていった。
使いの人魚の傍らの海に、のっぺりとした巨大な頭が見えた。アルフォンスが戻ると、海面を盛り上がらせて姿を出した。それは八本の足の内の三本を綺麗に揃えて、アルフォンスの足元にちょこんと差し出す。
「聖域は、ここから少し北上したところにあります。そう遠くはありませんよ」
「これに乗っていいんですか?」
赤い頭の、タコの魔獣オクトパスを彼は指差す。
「ええ」
彼は恐る恐るオクトパスの足に乗り移る。オクトパスは足を手前に引き寄せ、アルフォンスはその頭にしがみつく。足の上に立ち、頭を抱えこむようにして。足先だけは流石に海に浸かるが、体を濡らさないように、オクトパスは足を持ち上げてくれている。くるりと海へと方向転換した。思ったより、安定している。
海上を滑るように移動するオクトパスは、北に進路をとる。よくもまあ、こんなに速く泳げるものだと後ろを見れば、オクトパスの足の動きが早過ぎてよく見えない。軟らかい足をプロペラのように高速回転していれば、魔獣の能力に思わず感心したりする。
オクトパスとアルフォンスは空気を切って突き進む。頬を吹き抜けていく風が、氷のように冷たい。けれど、徐々に海水が暖かくなってきたのは、気のせいだろうか。昼になり、高く空に上った太陽。薄雲に覆われて弱弱しい光を放つ円。それとは逆に北へと進んでいるのだから、足が冷たい水に慣れてきたためだろうか。
人魚が先頭で導く。眼前に散らばる、角ばった岩石でできた小島の群れ。その内の一番大きい島に向かっていく。
海に面して、大きな洞窟が口をあけている。奥はかなりありそうだ。中に入る。天井が高い。小ぶりの帆船なら十分に通れる空間。洞窟の壁の両脇に間隔を置いて、海の中に光が灯されている。かすかに洞窟の内部を照らしていて美しい。まっすぐに、しばらく進んで水路の行き止まりにきた。アルフォンスは岸に降ろされた。
「ここでお待ちください」
人魚は小さくお辞儀をしてから、海に潜った。翻った尾っぽが、するりと海に消えていく。オクトパスも身を沈めて、消えた。
辺りは水の音だけ。静かになった。
アルフォンスは手持ちぶたさに、海水に触れた。海水はぬるかった。冷めた風呂の湯のように。先程、海が暖かいと感じたのは正しかったのだ。そういえば、この洞窟の空気も、適度に暖かい。
ぱっと明かりが灯った。ほんのりと明るくなった背後を振り返る。水路の行き止まりの先に続いていた洞窟が、はっきりと見えた。
「アルフォンス。こちらです」
中から、人魚が手招きをしている。洞窟には海が広がっている。その中央に道が伸びている。人が二人は並んで歩ける幅をもった、石畳の道だ。まっすぐと奥に続いている。道に沿って、明かりが置かれている。大きな丸い水晶玉に、青い光が閉じ込められている。一本道が闇に浮かび上がる。
彼は神秘的な光景に心を奪われながら、道を歩き、人魚は彼の横を泳いだ。
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