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(シビュラ!来ちゃだめだ!)
アルフォンスは霞みがかる景色に、カルキストと対峙するシビュラを見出すと、声を大にして叫ぼうとした。だが、声が出なかった。
地に頭をつけ横たわる彼の体からは、着実と血液が失われていた。傷口に手を押し当て止血しても、堰を切って流れ出る血を留めおくことは不可能だった。
けれども、血に濡れた彼の手の上に、誰かが手を置いた感触がある。それと共に、体を貫く激痛がほんの少しだが和らいだ。
「イナンナ・・・・・・」
「動かずに。傷を塞ぐまでは」
体をよじり起きようとした彼を、イナンナは彼の背中をさすって制した。
「・・・・・・イナンナ。エレノアは?」
「ご心配なく。安全な場所に避難させています」
彼女は精一杯笑い掛け、悄然とした彼を励まそうとした。
彼女の手も彼の血で真っ赤に染まっている。彼女の顔にも苦しみの色が滲んでいる。けれども、持てる全ての魔力を投入したヒーリングの光は、太陽の光のようにまぶしく、月の光のように優しい。
傷の痛みは、暖かさの中に薄れていき、冷たく重かった体は除々に軽くなってきた。全身から苦しみが抜けていった。彼は彼女の優しさに、自分の体が癒されていくのが分かった。
剣は届かないが話はできる。そんな近くまで来たシビュラを、カルキストはじろじろと眺め回した。
血塗られた剣持つ屈強の狂戦士を前にしても、彼女の立ち姿は毅然としていた。いかつい鋼の防具で身を護ることもなく、無防備で高く細い体。肩を出した紫のドレスは、シビュラの体のラインを綺麗に際立たせている。また、邪魔にならぬよう、後ろに小さく結い上げていたブロンドの長い髪は、先のドラゴンとの戦いでわずかに乱れていた。
「これは美しい」
カルキストは目を細めて言った。
「なるほど。彼が、かどわかされるのも無理はない」
「それはどうも。お褒めにあずかり光栄だな」
シビュラは首をちょっと傾け、ぶっきらぼうに答える。
「つれないなあ」とカルキストは軽く笑った。
「さて、何故、貴女が出て来たのか?最強の魔術師といえども、私は倒せないよ。それとも、彼をテレポートで逃がすつもりかい」
「そんな馬鹿な真似はしないさ。あいつを逃がせば、私が逃げられなくなるだろう」
この戦場から完全に離脱するには、相当の魔力を食う。
「あいつが己の力量も省みず、敵の実力を計ることもせずに、無謀な戦いを勝手にしかけたんだ。私に助ける義理はない」
「だそうだ」
カルキストは、イナンナの手当てを受けているアルフォンスの方を見る。
「助ける人間に恩を着せない美しい心根だな」
そして、細い鋭い目でシビュラを見据える。
「しかし、貴女はここに来てしまった。来たからには、ただで帰すわけにはいかないだろうに・・・・・・」
腰に手をあてる。
「貴女をどうしようか。この耳の治療も早くしたいしね」
彼は物思いに沈んだような声で、彼女に語りかけるのだ。
「強く美しい人間を愛でるのは大好きだ。・・・・・・けれど、その命を美しいままに刈り取るのも、この上ない喜びを感じる・・・・・」
ふっと、シビュラは一笑した。
「まさか、こんな田舎の島に、こんなイカレた男がいるとはね」
「強がりも今の内だ。その白い柔らかな肌が血にまみれれば・・・・・・」
夜の闇を背にして、カルキストは歩き始めた。
「シビュラ!下がってくれ!」
アルフォンスが叫んだ。立ち上がった彼の側には、力を使い果たし、砂浜に手をついて座り込むイナンナがいる。
「おいおい。剣も持たずにか」
振り返ったドラグーンが呆れて茶々を入れる。が、それに構わずに、彼は叫び続ける。
「シビュラ!下がるんだ!」
しかし、彼女の無表情な横顔は、全く彼を相手にしようとしなかった。目の前のカルキストから視線を決して逸らさない。
(魔法の通じない敵と、どう戦うっていうんだ!)
力を取り戻したアルフォンスは、急ぎシビュラの元に走り始めた。
(貴女が傷つく姿なんて、見たくないのに!)
カルキストは目の前のお粗末な光景に大きく溜息をついた。それから、持っていた剣を面倒くさそうに放り投げた。アルフォンスの剣は彼の行く手の砂浜に落ちた。
「剣は返してやる」
シビュラの側に辿り着く前で、彼は止まった。上目使いにドラグーンの動きを警戒しながら、剣を拾った。
カルキストは言った。
「おい。ローディスの女」
アルフォンスを顎で指す。
「こいつにドーピングしてやれ。今のままでは話にならん」
耳からだらだらと流れる血もそのままに。
「魔法で何とかなるんだろう。代わりに、この耳の手当てをさせてもらう」
カルキストはそう言って、さっさと背を向けてしまった。
警戒心もなく、サーコートのポケットから取り出したキュアペーストを自分の耳に塗り始めたカルキストに、シビュラは全く手出ししなかった。彼女は振り返って、アルフォンスと視線を交わした。
アルフォンスは彼女の顔を見た。彼の心を一気にざわめかせた不安を、訴えるような眼差しに込める。しかし彼女の固い表情は、彼の思いを少したりとも受け付けなかった。
「・・・・・・アルフォンス。戦えるな」
彼女は彼に言い聞かせるように呟いた。そして、徐に呪文の詠唱を始めたのだった。
「やめろ!」
アルフォンスは大声で怒鳴った。肩をいからせ、彼女に食って掛かった。衝動的な激しい憤りに駆られた。
(魔法の力を借りるなんて!)
行き場の無い腹立ちが体中を駆け巡るのだ。
ヒーリングでいちいち怪我を治すのも本当は卑怯だ。向こうは全く魔法が使えないのに。魔法で強くなる。男の一騎討ちに、これ以上魔法を使うなどと!
(シビュラ、アイツは怪我してる。あと、もう少しで。このままでも勝てるんだ!)
「お前は、ガキか!」
アルフォンスは息をのみ、彼女の顔を見た。シビュラの大きく激しい怒号が、砂浜に響き渡った。彼女は眉を吊り上げ、怒っていた。
「死にたくなくば、此処で強くなれ!」
彼女の叱責にアルフォンスは自分を取り戻した。
「シビュラ、頼む!」
背筋を伸ばし、両手を広げ、彼女の魔法を待ち受ける。
「・・・・・・天空をかける疾風迅速の如き時流の渦を巻き起こせ・・・・・・」
アルフォンスに片手を差し伸べる、彼女の体が淡く光る。黒い夜に金色のオーラが広がる。そして、
「クイックムーブ!」
魔法の力を帯びた大気は、風に変わった。シビュラの髪がふわりとなびく。と、一挙に生み出された突風はアルフォンスに迫る。海岸の砂を舞い上げながら。嵐のような轟音を上げながら。風は彼をすっぽり包んで、足先から頭のてっぺんへと渦を巻き、夜空に吸い込まれるようにして消えた。
アルフォンスは驚いた。重いはずの鎧の重さが感じられない。さらには、自分の体も軽く。風が重量を奪ったよう。移動力を上げる魔法の、著しい効果を確認するように、彼はその場で数回軽くジャンプして、足並みを整え始める。
シビュラの詠唱は続く。黄金色の光は次第に、燃えるような朱に色づく。
「・・・・・・汝の刃に光芒一閃の力を、ゾショネルの加護を与えん、ヒートウェポン!」
アルフォンスの剣は彼の手から離れ、赤く光りつつ空に上昇した。一回爆音が上がった。剣の刀身が、まぶしいほどに真紅の光を放出する。それは、鋼が、燃え盛る熱い炉の炎によって鍛えられるかのように。魔法の炎に焼かれた剣は、再び命を吹き込まれる。
ゆっくりと彼の手の中に戻った剣は、握る感触が明らかに違っていた。重さは変わらぬが、いや、それどころか軽い。けれども剣から伝わりくる力は、恐ろしく強大。刃は鋭利に光り、硬い鋼をも切り裂く力を肌で感じる。ただのロングソードが魔剣に生まれ変わったのだ。シビュラの強力な魔力を与えられ。
「炎神を統べる偉大なるゾショネルよ、我らに熱き炎の庇護を与えたまえ」
夜空が赤く染まった。灼熱の炎に似た赤き光が、形を持って浮かび上がる。最大最強の戦いの女神、炎神ゾショネルの徴。
「炎の守護戦士に、勝利の祝福を!・・・・・・デフゾショネル!」
空を染めた光は大地に注がれ、辺り一面の空間を覆い尽くす。赤い炎の輝きは、アルフォンスの内から大いなる英気を沸き立たせた。
(・・・・・・私の魔力。受け取れ、アルフォンス!)
パンパンパンと手を叩く音。竜殺剣ファフニールを小脇に抱えて、カルキストが手を打つ。
「流石だな。こんなに華やかな補助魔法は初めてだ。・・・・・・なかなか見事なショーを見せて頂けたよ」
アルフォンスは諸手で剣を構えて、シビュラとカルキストの間に入る。
「じゃ、やるか」
カルキストも剣を持ち、戦闘態勢に入る。ドラゴンへルムから覗く目が笑う。
「せいぜい、楽しませてくれよ」
シビュラは後ろに下がった。剣を突きつけ、間合いを詰めていくアルフォンスの姿を見守った。
最初に間合いを切ったのは、アルフォンス。仁王立ちのカルキストに飛び込んだ。迎え撃つカルキストは、片手で握った剣を前に出す。
アルフォンスの足は強く砂浜を踏みしめ、蹴り上がった。速さは、いつもとは比べ物にならない。電光石火の早業で、アルフォンスが正面から切りつける。それをカルキストは受け止めようとする。
交差する剣と剣。上からアルフォンスの剣がのしかかる。重みに圧されてカルキストは、剣の柄を右手の上から左手でも掴んだ。それでも、剣の威力を抑えきることが出来ず、刃がカルキストの鼻先まで届く。
そこで、カルキストはアルフォンスの剣を腕ずくで押し返す。アルフォンスは機敏に身を引き、反撃を避け、再び剣を下ろす。同時にカルキストの剣が。
互いに打ち込んだ剣を、互いの鍔で受け止める。鍔迫り合いとなる。カルキストの幅広の大剣に較べてはるかに、アルフォンスのロングソードは小振りだが、剣の押し合いは、十分引けをとらない。
「やっと、面白くなってきたじゃないか」
剣の向こうで、カルキストの声は余裕を装うか。しかし、剣を握る両腕に明らかに力が入っている。力が拮抗したお互いの剣が震えている。
手を金属の小手で守るカルキストは、強引に剣を押して二人を引き離す。ここぞとばかりにアルフォンスは、カルキストに切り込む。しかし、鎧の曲線が剣を滑らせ、攻撃を阻んだ。
カルキストの速さについていける。カルキストの力にも対抗できる。これも、シビュラの魔法のおかげだ。受け止めるカルキストの剣の重さは、最早其れほど重くはないし、敵の剣を払いのけ、すぐに反撃に転じられる。何度もカルキストのやや手緩い防御をすり抜け、その体に剣を打ち込んだ。けれども・・・・・・。
アルフォンスの方は驚ろくべき身のこなしで、カルキストの剣をことごとくかわす。しかし、わずかな隙に腕を斬られた。カルキストの剣は確実にあたれば、アルフォンスの鎧を貫いてしまう。テレマの回復魔法がすぐに傷を治してくれたとしても。
カルキストは全身を堅固な鎧で覆っている。鎧に護られている限り、この男に傷を負わすことも、倒すこともできない。
激しい交戦の最中にあって、アルフォンスは声をあげる。
「シビュラ!ヒートウェポンを!」
息もつかせぬ剣のやり取りを繰り広げる。その彼に。
「ヒートウェポンの重ねがけは・・・・・・!」
彼女は躊躇して答えると、振り返りもせず、再び彼は声を張り上げた。
「分かってる!」
促されるまま、シビュラは呪文を唱えだした。
剣を打てば受けられ、やり返される応酬。
アルフォンスは、大剣を跳ね返し、わずかに距離をとる。
魔法の詠唱が終わると、アルフォンスが握る剣が光に覆われた。刀身は先刻よりも一層赤く、また、不気味なまでに輝いた。
休む間も無く、アルフォンスはカルキストに突行する。凄まじい速さは、まさしく放たれたばかりの矢。差し付けられたカルキストの剣を、意にも止めない。
剣の柄を両手で握り締める。頭上高く、剣を振りかぶる。駆ける勢いは、さらに。
渾身の力を込めた剣を一気に振り下ろした。
剣は見事に、カルキストの体に命中した。
響き渡る衝撃。
そして空に飛ぶ、アルフォンスの折れた剣。制御を無くした、刀身の鋭い切っ先が、きらりと光って空を切る。
強大な魔力を過剰に注入された剣は、異常に肥大し、限界に達していた。カルキストの堅牢な鎧を打ち付けた剣は、強烈な衝撃に耐えらず、中央から真っ二つに折れた。
かたや、カルキストは護りが疎かになっていた、アルフォンスの胸に斬りつけていた。カルキストの竜殺剣は、アルフォンスのひ弱な鎧を突き破り、辺りに鮮血を散らした。
アルフォンスは折れた剣で持って、次の攻撃を辛くも退け、身を翻し、カルキストから離れるべく走った。
しかしカルキストは、無防備に逃げる彼の背中に切り付けられなかった。上半身を思うように動かせない。左の肩から腹にかけて、カルキストの鎧は、見るも無残に変形していた。アルフォンスが打った剣の軌跡通りに、鎧は深くへこみ、著しくゆがんだ。胸甲にめり込んだ肩甲のために、左腕を自由に動かすこともままならない。身軽に動くことなど到底できない。
カルキストから十分離れた所で、アルフォンスは倒れた。彼が走ってきた後に続く、点点の血痕。控えていたテレマの魔法が、彼の傷を治す。
カルキストは、鎧のバックルに触れた。バックルを外した。そうして、彼の動きを妨げる以外、すでに使い物にならなくなった鎧を自ら剥ぎ取った。一緒に、彼の顔を隠すヘルムさえも脱ぎ捨てた。
胸を抑え回復を待つアルフォンスに、足早に迫り来るカルキスト。剣を失った彼に、間髪容れず襲わんと。
アルフォンスの近くで、何かが砂浜に突き刺さった音がした。彼は気付き、頭を上げる。
目の前に、長い刀が立っていた。刀身は細い。鋭く研ぎ澄まされた刃は、雨露に濡れたように艶やかに、角度によって炎を思わせる赤色の、妖しい光を放つ。シウェンの愛刀、カガリビ。
遠くに、シビュラに肩貸すシウェンが見える。
アルフォンスは立ち、刀を砂浜から抜いた。
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