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「いい眺めだな。小僧。」
胸に走る、強烈な痛みで目覚めたアルフォンスの前に、鞭を持って立つ男は、そう言うと、にやりと笑った。激痛に耐えながら、アルフォンスは自分の居る部屋を見渡す。かび臭い、そして、鉄と血の匂いがする窓の無い小さな部屋は、アルフォンスの立つ壁に掛けられた一つのランプの光によって、わずかに照らしだされていた。部屋にはこの男しかいない。扉には鉄格子、壁には人を繋ぎ止めるための鎖と、おびただしい血痕、棚に散乱している拷問器具。アルフォンスは自分の両手首に、冷たい鋼鉄の手枷が嵌められている事に気付いた。そして、両腕を壁に吊るされたまま、男にどなった。
「貴様。何者だ!ここから、放せ!」
「威勢がいいもんだな。しかし、放せといって、放す馬鹿がいるか?」
「くっ。」
アルフォンスは手枷に力を込め、繋がれた太い鎖を引き離そうともがいたが、鎖はガチャガチャと空しく大きな音をたてた。
「貴様。ラーヌンクルスの白牙騎士団か!」
「まあ、そういうことだ。」
男は手に持つ鞭をくねらせた。
「俺は白牙騎士団の筆頭騎士、ニッカールだ。随分と手間を取らせてくれたな。」
「砦の騎士達は罠だったということか?」
「そうとも言えるかな。グリマールには気の毒だったが。お前の様な小僧に負けるぐらいでは、たかがしれている。」
アルフォンスは、上目使いに一笑した。
「つまり、お前は砦の部隊を見殺しにしたわけだ。」
アルフォンスの言葉に気分を害したニッカールは、いきなり彼の横っ面を殴りつけた。一筋の血が、アルフォンスの口から流れた。
「お前は、自分が今、どんな状況に置かれているか、全くわかっていないようだな。」
ニッカールは床を一振り鞭で叩いた。鞭の鋭い音が狭い地下牢に響いた。
「お前を生かしているのは、他でもない、お前から聞きたいことがあるからだ。お前達、聖炎騎士団が、この島にやってきた本当の理由。それを是非とも教えてもらおうか。」
「理由?それは、お前達が良く知っているだろう?」
ニッカールはアルフォンスの体に数回鞭を振るった。アルフォンスは、歯をくいしばって痛みに堪えた。
「我々ラーヌンクルスが、南部の領域を侵している。その調査と鎮圧の要請を受けて派遣された、と言うのか。それは、表向きの理由だろう?ローディスの人間は、ローディスに利益があるような時にしか動かないような奴らだ。わざわざ、こんな辺境の地に騎士を派遣するような理由が、必ずあるはずだ。」
口の中に溜まった血を、アルフォンスは床に吐き捨てた。
「本当の理由なんて、あるものか。お前達の方こそ、一体何を企んでいる?南部の史跡を暴き、古い書物を漁り..。大の大人が、宝島の地図でも探しているのか?」
「うるさい!」
ニッカールは顔を真っ赤にして、鞭の柄でアルフォンスの顎を強く上に持ち上げた。
「小僧!余計な事は言わなくていい!俺の質問に答えるだけでいいんだ!」
鞭の柄がアルフォンスの顎にくいこむ。息苦しさに咳き込みながら、アルフォンスは返事を返した。
「..本当の理由なんて、俺は知らないね。それに知ってたとしても、お前達には話さない。」
「はー!」
ニッカールは急に素っ頓狂な大声を張り上げたかと思うと、アルフォンスのみぞおち目掛けて、思い切り、深く拳を入れた。アルフォンスの体は前屈みに倒れ、激しく咳き込んだ。両腕を吊り上げている鎖が鳴った。
「お前が、そういう強情な態度にでるのなら、体に聞くしかないな。」
アルフォンスの乱れた黒髪を鷲掴みにして、顔を無理矢理向けさせた。
「小僧。痛いのは好きか?」
「....これぐらいの痛み、大したものではないね。」
「その強がり、どこまで続くかな。もう、かなり堪えているように見えるがな?」
ニッカールが手を離すと、アルフォンスの頭は力無く下に落ちた。
「シラをいくら通そうと、お前達の行動を我々も把握しているのだ。この春にオウィス島に侵入し、何事かを調査している者。スカベッルムを離れ、西に進行中の別働隊の存在。南部の警護に来たお前達が、一体、西に何の用事があるというのだ?」
「西だと...?」
「お前は知っているはずだ。フェ−リス公の息子のお気に入り、のお前ならな。」
(そんな話は聞いた事がない。)
アルフォンスは動揺した。西へ向かった別働隊?港町で別れたレクトールから、そんな話は全く無かった。西について一言も、話題にすら、のぼった時も無い。しかし、それが根拠の無い、ニッカールのはったりとも思えない。こいつらは、自分とレクトールの関係を知っているのだ....。
「どうした。大人しくなって。話す気になったか?」
「お前に話すような事は何一つ無い。」
「そうそう、あのフェ−リス公の息子の助けを期待しているようなら、無駄だぞ。さっき、連絡が入ってな。グルッソスの森を抜けるのに失敗し、スカベッルムに退却を始めたようだ「
「何だと。」
「フェ−リスの騎士、ローディスの騎士も大した者じゃないな。お前は見捨てられたんだ。」
「違う!お前達と一緒にするな。レクトールは強い。お前の言葉に惑わされはしない!」
「今は、そう思っていればいいさ。これから嫌という程、現実を思い知らせてやる。」
ニッカールは鉄格子の鍵を外し、地下牢を出た。そして、すぐに、部下の兵士を数人連れて戻って来た。兵士の一人が、動けないよう、アルフォンスの頭を壁に押し付け、もう一人が手早く、口に猿轡をかませた。
「悲鳴が聞けないのは、残念だが。死んでもらっても困るからな。」
ニッカールが笑うと、アルフォンスは鋭い目付きで睨みつけた。
「おいおい。そんな目で見つめるな。ここで、お前の目を潰してやってもいいんだぞ。」
笑いながら、兵士に鞭を手渡した。
「俺が戻ってくる頃には、吐く気になっているようにしておくんだ。死なん程度に可愛がってやれ。」
そう言い残し、ニッカールは地下牢から消えた。受け取った兵士は、アルフォンスのすぐ頭上で、鞭を鳴らした。


(....拷問を受けた時、士官学校でどうすれば良いと教えられたっけ。)
アルフォンスは、ぼんやりとした頭で必死に思い出そうする。
(....自害しろ、と言われたな。秘密を喋らされる前に。)
今の状態の自分では簡単に魔法にかかってしまうだろう。ファシネーションを使って、喋らせればいい。しかし、そうしないのは....。
(連中、楽しんでいやがる。)
執拗に、時折笑みを見せながら、鞭を打ち続ける男達。アルフォンスは、人の心に潜む闇を思わずにはいられない。

 拷問の最中、死ねば楽になると思った。しかし、ここで死ねぬと思い留まった。洩らしてはいけない特別な秘密は無い。連中が知りたがっている情報を、アルフォンスも知らない。しかし、何よりも絶対に死ねない理由がある。レクトールの事。聖炎騎士団がオウィス島にやってきた真の理由。レクトールは、この自分にも内緒で一体何をしようとしているのか?アルフォンスは、それを直接レクトールに聞きたかった。レクトールの真意を知るまでは、どうしても死にたくなかった。

 アルフォンスは逃げ出せる事を信じ、必死に拷問に耐えた。だが、それも体に刻み込まれる傷が増えていくと共に、絶望的な思いに変っていく。痛みで意識が遠のいていく。アルフォンスは不意に夢をみた。フォルミドー砦に遅れてやってきたレクトールが自分を救けだす夢。失神したアルフォンスを兵士が手荒らに起こした。そこはまだ暗い地下牢で、鎖に繋がれていたままだった。思わずアルフォンスの目から涙がこぼれ落ちた。悲しかった。情けないと思いながらも、我慢していた感情が一気に込み上げてくるかのように、涙がとまらなかった。


 ニッカールが再び、地下牢に戻って来た。その横には、取り澄ました顔をした金髪の少女がいる。年の頃は、アルフォンスと同じくらい。魔術師の格好をしたこの少女は、アルフォンスに魔法をかけて捕らえた少女。
「あら。随分と派手にやったものね。」
少女は見下すような目で、アルフォンスの傷ついた体を眺めた。ニッカールが指示をだし、彼の口から猿轡が外された。
「どうだ。吐く気になったか。」
アルフォンスは、うな垂れたまま、絶え絶えに声をだした。
「...知らない物は.....知らない。....話す事も無い...。」
「まだ、そんな舐めた口を利くか!」
ニッカールは満身創痍のアルフォンスに鞭を振るった。
「ああっ。」
アルフォンスは堪らず声を上げた。
「さっさと吐けば、楽に死なせてやるものを。愚かな奴だ。」
鞭のしなる音、鞭打つ音と呻き声がしばらく続いた。少女は、少し高くなっている、扉に続く階段に腰をおろした。そして、ほおづえをつきながら、目の前の惨状を見物した。服や皮膚は切り裂かれ、血にまみれ、苦痛の表情で悶え苦しむ少年に、ニッカールはサディスティックな笑いを浮かべて鞭を打ち続ける。少女は眉をひそめた。
(この男にイイ思いをさせるのも、面白くないわね。)
少女は立ち上がり近寄ってくると、ニッカールに声を掛けた。
「ニッカール様。もう、その辺になさったら。その少年は、本当に何も知らないのかもしれないわ。」
息をはずませながら、ニッカールは答えた。
「いや、そんなはずはない。絶対に何か知っているはずだ。」
「そうだとしても。何時までも、埒があかないわ。もっと簡単な方法だって、あるのよ。」
少女は、胸元から小さい瓶を取り出し蓋を開け、アルフォンスの口に押し付けた。少女が耳元で囁いた。
「感謝して頂戴。楽にしてあげるのだから。ただし、目覚めは最悪でしょうけどね。」
少女は薄笑いを浮かべて、瓶に入った液体を無理矢理流し込んだ。感覚は無くなりつつあったけれども、生温く、ひどく甘い味が口中に広がったと思った瞬間、世界が回るような強烈な目眩に襲われて、アルフォンスの意識は途絶えた。


 ガタンガタン。鉄と鉄がぶつかり合う音、きしむ歯車と巻き取られていく鎖との大音響で、アルフォンスは意識を取り戻した。城門を開くような音だ、と彼は思った。唯一の光だったランプは消され、地下牢は真の闇に覆われている。乱暴に、頭の中身を掻き回されたように、頭がひどくズキズキする。長い間、手枷に吊るされていた腕はしびれて、その感覚がない。傷だらけの体は、痛みの限界を通り越して、麻痺状態になっている。気持ちが悪い。とても、疲れた..。牢に向かってくる人の気配がする。鉄格子が開き、自分の前に来た所で、歩みを止めた。
「ローディスの騎士よ。間も無く、満潮の時刻だ。」
闇の中にうっすらと、鎧をつけた兵士の姿が見える。しかし、アルフォンスは、よくその言葉を聞き取ることができない。男は淡々とした口調で続ける。
「ここは、もうすぐ水没する。ニッカール様より、お前を始末しろと言われたが....。俺の家族は、お前達に殺された。今、お前の止めは刺さない。」
こちら側へと、遠くから、川のように水が流れる音が近づいてくる。
「水の下へと沈んでいく。死の恐怖に怯えながら、じわじわと死んでいくがいい。」
水の上を歩く、パシャパシャという音。鉄格子が閉まる音。男の気配は完全に無くなった。足元から、水の冷たさが除々に伝わってきた。
(死は、あっけないものだな。)
アルフォンスは、ふと思った。


 地下牢にあるのは、ただ静寂。物音一つせず、人の気配もせず、ひっそりと静まり返った。暗闇に聞こえるのは潮が満ちてくる音だけ。海水はアルフォンスの腰まで届いた。アルフォンスはうなだれたまま動かない。どうすることもできず、襲いかかる運命に逆らう力も最早無い。判然としない意識の中、ゆっくりと、近づいてくる死を感じていた。

「起きろ。死にたいのか?」
突然、凛とした声がアルフォンスの心に響いた。意志の強い、若い女の声。
「起きろ。ローディスの若き騎士よ。ここで死にたくなければな。」
アルフォンスは最後の力を振り絞って、顔を上げた。
「私は、シビュラ・アリンダ。昼間の戦いは見させてもらった。なかなか、見事な戦いだった。」
闇の中に、長身の女の姿が浮かんだ。
「私は戦士を探している。私と契約を結ばないか。騎士としての忠誠を誓い、私の仕事に協力するのであれば、ここから助けてやろう。」
「....協力?.....何の?....「
アルフォンスは、声を上手く出せない。
「お前に残された道は二つだ。私に協力するか。それとも、ここで死ぬか。」
女はアルフォンスのすぐ傍らまでやってきた。
「どうだ?選択はお前の自由だ。」
アルフォンスは迷わず女に告げた。
「....貴女に、騎士としての、忠誠を誓おう.....。」
「契約は成立だな。」
女は、腰に横差している短剣を抜き、アルフォンスを繋ぎ止める鎖を断ち切った。そして、そのまま倒れ込んだ血まみれのアルフォンスの体を受け止めた。
「これを飲め。少しは楽になる。シウェン。手を貸してやれ。」
闇の中から黒装束を纏った男が現われた。アルフォンスは男の背に担がれ、三人は地下牢を出た。
 
 砦の中に全く人はいなかった。砦の外へ出ると、外の夜空は、何時の間にか、明るくなっていた。星が次第に光の中へと消えていく。東の空が徐々に白んできている。やがて、三人は、砦から遠く離れた丘まで辿り着いた。そこで、アルフォンスは地面の上に降ろされた。眼下に広がる海から、太陽が今まさに昇ろうとしている。
「見ろ。夜明けだ。」
女の言葉に、横たわったまま、アルフォンスは顔を向けた。
風が吹いた。女の金色に輝く長い髪が風に揺れた。アルフォンスは太陽に照らされた女の横顔を、黙って見つめていた。


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