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くろのおっさん/阿岐 TOP 外伝の外伝


私は、変わりた
ーエレノア・オリアト



 ソレア海岸の浜辺にある小さな教会は、深い悲しみに包まれていた。
 不遇の死を悼む家族達が、故人の眠る棺桶の周りを囲み、涙を流して最後の別れを惜しむ。教会の白い講堂に鎮魂歌が響き、神父が葬儀の鐘を鳴らした。花束に飾られた棺桶が墓場へと、ゆっくり運ばれていく。その時、一人の女が、声をあげて泣き崩れた。家族はその手をとって抱き起こし、慰め、共に墓場へと向かっていった。
 エレノアは墓場に続く群衆の列を講堂から見送っていた。少女は、赤ん坊の時に戦争で家族を無くし、身寄りも無く教会に引き取られた。ぼんやりと心の中でつぶやく。
(私が死んでも泣いてくれる人なんて、いない)
 若い内に急死し、確かに可哀想な人だ。でも、こんなにも、その死を我が事のように悲しみ、涙を流す家族や友達がいる。エレノアは、それをうらやましく思う。


 バチンと大きな音に、一同は驚いて振り返った。右の頬を思い切り叩かれたエレノアは、よろめいて、その場に倒れた。
「何て事をしてくれたんだ!しっかり保管しろ、とあれ程言っておいただろう!」
 ハーウェン神父は、口調も激しく、怒りの余り震えていた。
「申し訳ありません。申し訳ありません」
 エレノアは赤く腫れた頬もそのままに、何度も何度も土下座をして謝罪した。
「謝って済む問題じゃない!一体、どうしてくれるんだ!」
 この教会で、明日、アールセン地方の有力貴族の結婚式が執り行われる。準備は着々と進んでいた。その最中、教会側で預っていた結婚指輪の片方が無くなったというのだ。保管を任されていたエレノアが箱を開けると、中は空っぽだった。
「まったく。お前に任せるべきではなかった」
 怒鳴り続けていたハーウェン神父は、息を切らして、忌々しげに言い放った。 エレノアは涙を浮かべてうつむいた。騒ぎを聞きつけた新郎の親族が、二人の間に割って入った。
「神父様。もう、その辺になさってください」
「しかし!」
「彼女を責め続けても見つかるものでない。それに、折角のお祝いの前に、これ以上、揉め事を起こさないで頂きたい・・・・・・」
「それは、それは。たいへん失礼な事を致しました」
 神父は神妙な面持ちで頭を下げると、努めて冷静な声でエレノアに尋ねた。
「エレノア。何時まで、指輪はあったのだ?」
 彼女は、しゃがみ込んだまま、か細い小さな声で答えた。
「・・・・・・昨日は、・・・・・・」
「何っ!はっきりと喋らないか!!」
 怒気を含んだ神父の大声で、エレノアの体がビクッと震えた。
「昨日の。・・・・・・昨日の夜に、指輪がある事は確認致しました。それからは。・・・・・・先程、神父様がおっしゃられるまで、確認はしていません」
「では、今日の午前中に紛失したということか。今日は業者の者が多数出入りをしている。それを知りながら、祭壇上に置いておくとは。この愚か者が!」
「申し訳ありません」
 再び、彼女は深々と頭を下げた。
「まずは、使用人や業者の者の荷物を確認しましょう。祭壇に近づいた者を調べて・・・・・・」
 親族の一人がそう言うと、神父は彼らと一緒に足早に部屋を出て行った。
 エレノアは、その場に残された。涙を拭くと、再び、昼食の準備を始めた。
 近くで作業をしていた使用人の女達が、遠巻きにエレノアの方をチラチラ見ながら話している。水の流れる音、鍋のお湯が沸騰する音にかき消されて、よく聞こえないが、エレノアの耳にも断片的に言葉が届く。
「・・・・・・とんだ騒ぎ・・・・・・」
「・・・・・・いつも、暗くて・・・・・・」
「だから、北の人間は信用できない・・・・・・」
 野菜を切りながら、涙がこぼれ落ちた。ここから逃げ出したいけれど、そうする事もできず、黙って仕事を続けた。

 夜。仕事を片付けたエレノアは、やっとベッドの上に横になった。仕事を終えた後の解放感は全く無く、疲れているのに寝付く事すら出来ない。心の中にうずめく、様々な感情、思い。結局、指輪は見つからず、事情を説明して代りの指輪を用意した。親族は直接エレノアに恨み言は言わなかったけれど、ひしひしと彼女を蔑むような感情は伝わってきた。
(私は、変わりたい)
 エレノアは、窓からのぞく暗い夜空を見て思う。他人の幸せをうらやましそうに眺める事しかできない、今の自分。
(こんな自分は、嫌だ)
 何度、ここから出て行こうと思ったか。いつもいつも、ここを離れて、どこかに行きたいと思っている。どこか、遠くへ。しかし、その度に、自分には行く所など、どこにも無い事に気付く。自分を待ってくれる家族もいない。自分を迎えてくれる知り合いもいない。どこに行けというのか?たった一人で。
(一人でなんて、生きられない)
 エレノアの目から溢れた涙が頬を伝った。

 不意に、海で助けた少年の姿が浮かんだ。彼の居た日々は、とても楽しかった。けれど、彼は仲間の無事を知ると、すぐに、ここから去って行ってしまった。
(何故、あの人は、あんなに堂々としているのだろう・・・・・・。私と同じくらいの年なのに。・・・・・・きっと自分に自信があるんだ)
 私は自信なんて持てない。私には何もできない。彼の無事を心配してくれるような友達もいない。あの人は今、どこにいるのだろう。仲間と会えたのだろうか?
(あの人は、光輝いて見えた)
 黒い髪に藍色の瞳、凛々しい表情。エレノアは布団を強く抱きしめる。
(会いたい。あの人は、私の何かをきっと変えてくれそうな気がする・・・・・・)
 海で出会った時に感じた運命は、きっと自分の幻想では無い。
 一通り、涙を流すと、エレノアの気持ちは段々と落ち着いてきた。
(もう、寝よう。明日も早い)
 エレノアは目をつぶった。


 その日は、朝から気持ちの良い快晴だった。結婚式に出席する着飾った人々が続々と教会に集い、普段は静かな教会に、華やかな雰囲気が漂い始めている。笑い声が聞こえる。笑顔で談笑をしている群集から離れて、朝から働き詰めだったエレノアは腰をおろし、やっと一息ついていた。そこに、今日の主役である新郎新婦が現われ、エレノアの労をねぎらう言葉を掛けた。エレノアは、今回の件について二人に詫びた。
「エレノア。もう、気にしないで下さい。確かに、指輪が無くなったのは残念だが、貴女のせいでは無い」
 新郎は優しく微笑んだ。
「指輪が無くても、私達の絆は何一つ変りません。どうか、そんな悲しい顔をなさらずに。私達二人をどうか祝福してやってください」
 
 結婚式が始まった。賛美歌の合唱と共に、純白の美しい花嫁衣装に身を包んだ新婦が父親に手をひかれ、出席者の間をゆっくりと歩いていく。
 その中、出席者の一人の子供が、辺りを物珍しそうにキョロキョロしていた。と、天使の像を指差すと、大声で母親に言った。
「この天使様、指輪をはめてる!」
 大人達が集まると、果たして、天にかざされた天使の左手の薬指が、銀色に光輝いていた。一同は、結婚指輪が無事見つかった事に安堵し、このような形で発見された事を、「神に祝福された結婚」と言い合い、神の奇跡を喜んだ。
 結婚式の壇上に並んで立つ二人は、天窓からさす白い光に包まれ、幸せそうに微笑みあうと、誓いのキスを交わした。
 エレノアは、神に懺悔した。そして、心の中で、壇上の二人に謝罪した。
「ごめんなさい。ひどい事をしてしまって。ただ少し、意地悪をしたかっただけなの」



END