冬将軍

前編



 ふと、男は目を覚ました。自分を呼ぶ声がしたような気がする。
 それは愛しくも、悲しい声。二度と聞けぬ声だというのに。
(風か・・・・・・)
 窓から覗く夜は吹雪。昨日から降り始めた雪は、暴風を伴って、ますます激しさを増している。
(うたた寝をしていた、か・・・・・・)
 玉座に座る男は大きな吐息をつき、背もたれに、どしりともたれかかった。
 ここ数日、めまぐるしく時だけが過ぎた。ようやく、一人きり・・・・・・。

 ラーヌンクルスに雪が降る。暗闇に乱れ吹く白雪に、ほんの先も見えぬ。深い森に抱かれたラーヌンクルスの居城は、すっかり白に沈み。雪は全てを覆い隠していく。
 その嵐の中、一連の葬礼の儀式が滞りなく終わった。溢れんばかりにいた大勢の家臣達はすでに皆退出し、がらんどうの玉座の間に、男は一人残されている。
 黒鋼の鎧の上に喪服を羽織る。玉座に座る男。ラーヌンクルス地方領主、ナリス・バトラールである。
 威風堂々、大きく筋骨逞しい体躯は、まさしく戦士の風貌。武勇を誇る彼は、かつて、この国の騎士団長を務めていた。兄の死を受け、領主となった今でさえも、領民は親しみを込めて、彼を『将軍』と呼ぶ。
 今、彼は久方ぶりに一人になって、玉座の間に揺らぐランプの炎を眺めながら、まどろんでいる。今日の儀式の出来を振り返ることもなく、ただぼんやりと、こんな事を考えた。
(最期まで懐かぬ、姪っ子であったな・・・・・・)
 同じ言葉を呪文のように、繰り返し繰り返し唱え続ける。

 彼の姪、マリーシア・バトラールは一昨日の夜に死んだ。再び昇る朝日を見ることもなく、未だ夜が明けきらぬ頃、ひそやかに息をひきとった。十三歳。流行り病いのあっけない死。父親に似て元々病弱なだった上に、ラーヌンクルスを襲った稀にみる厳しい寒波が、彼女のか細い命の炎さえ消し去った。
 今日も雪。冬のラーヌンクルスはいつも暗い。大海に浮かぶ極北の孤島、オウィス島北部にあるラーヌンクルスの冬は、深い雪に閉ざされる。
 しかし、彼女が死んだ朝の一時、珍しく空が晴れた。すぐに、重苦しい白雲が再び空を覆ってしまったけれども。

 彼に妻はいない。親兄弟をなくしていた彼にとって、側に残された身内はマリーシアだけだった。
 しかし、父親の弟にあたる彼に、彼女は決して懐くことはなかった。彼の前に来ると、小さい体をさらに小さくして、顔を強張らせる。語りかけても、片言の返事しか返さぬ。彼女は頑なに彼を拒絶していた。彼を嫌悪していたのだ。まるで、汚れたものを見るような目で彼をいつも見ていた。
 最期の時も。うつろな意識で呼んだのは、彼女の姉の名だけ。彼に反発し、数年前に国を捨てた、彼の兄の長女。前領主の娘。領主権の第一継承者である。
 彼女の居所はようにわからぬ。マリーシアは、この姉との再会を切に望んでいたが、遂に夢叶わずに終わった。

 雪は延々と降り続ける。一向に、その勢いは弱まりそうにない。背高い長方形の窓から覗く外は、闇で。
 風が強くなってきたようだ。玉座の間の窓がガタンガタンときしむ。
 と、風の音に混じって、バサバサと奇妙な音がはっきりと聞こえた。翼が羽ばたくような。
(この吹雪に鳥が?)
 彼はいぶかしく思い、肌身離さず持ち歩く、愛用の斧を手元に引き寄せる。巨大な斧だ。重量のある、この斧は、彼以外の人間には到底扱えそうにない。
 急に、空気が寒くなった。ランプの炎が大きく揺れる。一陣の冷たい風が、頬を掠める。
「ふふふ・・・・・・」 
 微かに笑い声。背後から聞こえた。咄嗟に振り返る。
 闇の中に、怪しい人影が二つ。
 彼は玉座から立ち上がり、斧を握り締めた。
「何者だ・・・」
 彼は落ち着いた声で問う。

「怯えなくてイイわ・・・・・・」
 鈴の音のような少女の声が響く。
「だって、私達は、貴方とお話しをしに来たのだもの・・・・・・」
 闇の人影が、ゆっくりと彼に近付いてくる。人影はランプの明かりの下で、除々に人の姿をとっていく。
 彼の目の前に立った、少女と少年。深々と丁寧にお辞儀をする。
「私はレーテ。彼はセルヴァンと言うわ」
 少女は翡翠色の目を細めて、にっこりと微笑んだ。
「ナリス殿。はじめまして・・・・・・」
 少女の柔和な笑みに、しかし、彼はどこか不気味なものを感じ取る。
 雪に濡れた様子はない。
 年のころは、十代の後半。二人のブロンドの髪は、陽の光のように輝いている。まるで天の御使い。すらりと均等のとれた体に、美しい顔がのる。
 少女は薄紫色のボレロを羽織り、白いタイツに、ピンクのスカートをはいている。一方、少年は、深緑の長いローブをゆったりと纏って、腰に巻いた焦茶色の帯の先端を、優雅に垂らしていた。
 武器らしきものは何一つ持っていない・・・・・・。
「そんなにジロジロ見なくても大丈夫よ」
 彼の心を見透かしたように、少女がけらけらと笑った。

「お前達は何者だ」
 明らかに見慣れぬ者達。玉座の間の外で控える護衛の騎士は、何をしている?
「ねえ。そんな怖い顔はお止めになって」
 甘ったるしい少女の声。
「何者だ。・・・・・・どこから潜り込んだ」
「みんなには眠ってもらったわ。私、平和主義だから」
 お気楽な顔で、全く動じる素振りのない少女に。彼は巨大な斧を持ち上げて、いたいけな少女の顔先に突きつける。
「やだあ。ナリス殿ったら、すぐに力で訴えようとするのね・・・・・・」
「レーテ。失礼だよ」
 ナリスの無言の圧力に気が付いた少年が、彼等の間に割って入る。
「ナリス殿。貴殿を驚かせてしまい、まことに申し訳ありません」
 少年は左手を右胸にあてて、深々と首を垂れた。
「私達の言葉を信じられるかどうかは、貴殿次第。どうか、私達の話だけでもお聞き入れ願いませんか?」
 物腰柔らかい態度で。
「私達は貴殿のお力になりたく、こうして馳せ参じました」

「私の力になる、だと」
「そうです」
 ナリスは、はっと一回、嘲けるように笑った。
「それは、随分と唐突な申し出だな。どういうつもりだ」
「・・・・・・貴方が欲している強大な力」
 セルヴァンは、じっとナリスの目を見つめる。
「神が創り給うた光の刃。大いなる神のイカヅチ。『美しき人魚の振るう聖なる光の一閃は百の兵をなぎ倒す』。その力は他を凌駕し、手にした者に無敵の強さを約束する。これこそ、偉大なる神の御力」
 少年は高らかに語り、最後に、こう言葉を結ぶ。
「・・・・・・聖槍」
 ナリスの眉がぴくりと動く。
「貴殿は、かつて人魚が所有していた、聖槍をお探しではないですか?」
 少年は静かに語り始めた。

「昔、この島は人間のいない静かな島でした。亜人間と魔獣、そして海域には人魚が暮らす、『魔獣の楽園』。しかし四百年前、ガリシア大陸より入植してきた人間によって、島の平和は終わりました」
「欲望のままに森を破壊し島を侵略していく人間と、島の先住民達との間に、しばしば衝突が起きました。遂には、人間と人魚による戦争が始りました。温厚な種族だった人魚に対し、鋼の武器を持つ人間は戦いを有利に進めました」
「人間の勝利が目前となった頃。異変が起こりました。劣勢の人魚の元に、聖なる光槍が、聖槍が突如出現したのです」
「聖槍は大いなる力で、多くの人間の命を奪いました。そして、戦争は数十年にも及びました。幾多の血が大地や海に流されました」
「しかし聖槍は、或る日、忽然と消えたのです。聖槍を失った人魚は人間に敗れ、生き残ったわずかの人魚達は、西の辺境の海に逃れました」
「こうして、この島は人間のものとなったのです」

「そんな昔話など、」
 ナリスは左手を腰に当て。
「島の人間なら誰しもが知っている。ただし、聖槍の存在は伝説の域を越えん」
「伝説ではありません。聖槍は実在している」
 セルヴァンは、はっきりと言った。
「そう、貴殿もご存知のはずだ。前領主。死を間近にした、貴殿の兄上の口から直接。・・・・・・聖槍とバトラール家の浅からぬ因縁を」
「ふん。因縁だと」
「四百年前、人魚と戦った人間達のリーダーは、バトラール家。貴殿の先祖だ」
 それがどうした、と言わんばかりに、ナリスは冷ややかに鼻で笑う。セルヴァンは続けて。
「それだけではない。聖槍が消えたのは、神が取り上げたわけでもなければ、人間に奪われたわけでもない。聖槍は、一人の人魚によって、持ち去られたのです。・・・・・・バトラール家の男を愛した一人の人魚によって」
 それは、バトラールの当主しか知らぬこと。
 ナリスの眉間の皴が深くなる。この少年は、何故それを?
「人魚はバトラール家の男と共に、何処かに逃れた。そして、聖槍は闇に消えた・・・・・・」
 セルヴァンは口を閉じた。そして、また口を開けた。
「聖槍の手掛かりを、私達が持っている、としたら・・・・・・?」
 したりと、ナリスの反応を伺う目。
「貴殿が長い長い年月の間、捜し求めていた、聖槍の情報を」

「なかなか、面白い話をする」
 ナリスは一歩前に出た。
「何故、お前達が聖槍について知っているか」
 ナリスは間合いを取りながら、じわりと詰め寄る。
「それをお知りになられて、どう致します」
 セルヴァンが薄く微笑む。
「・・・・・・私達は聖槍を知る。私達は聖槍と近しく、遠い存在・・・・・・」
「お前達は人外の者か。・・・・・・デーモンか」
「あら、失礼ね。あんな下級な奴等と一緒にしないでよ」
 横からレーテが口をはさんだ。
「光と共に生まれ、光の如き美しさを誇り、大いなる祝福の元に天を舞う存在。・・・・・・そして、天より堕とされし者・・・・・・」
 少女の背後に伸びる黒い影が、ざわざわと揺れ動く。
「レーテ」
 セルヴァンがたしなめるように、少女の肩に手を置いた。
「ナリス殿。私達が何者であるか。それは大した問題ではないはずだ」
 セルヴァンはナリスの方を振り返り。
「聖槍を手にすることができれば・・・・・・。そうでしょう?」
 闇の者は、かくも美しき姿をもって、人を惑わすのだ。

「では、尋ねよう。お前達が私に力を貸す。その理由を」
「貴殿は力を欲している・・・・・・」
「聖槍を知るというのなら、お前達が手にし、神の力を得ればよいではないか」
「それはできない・・・・・・我々には触れることができないのだから・・・・・・」
 美しい顔が一瞬曇る。
「お前達の手に負えぬものを、私に与えるだと。神の力を!それは、大層、殊勝な心がけだな」
 斧の先で、床を叩く。
「その見返りは何だ?タダでくれるものではあるまい」
「・・・・・・」
「私に聖槍を与えて、一体、何を企んでいる!」
 ナリスは大声で怒鳴りつけた。
「もう!欲しい人間にあげるって言ってるでしょう!」
「レーテ!」
 脇にいた少女がヒステリックな金切り声をあげた。
「貴方は強大な力を欲している。圧倒的な力を。この、ちっぽけな小国が、大国に打ち勝つため。貴方の島を侵略した、ローディスへの復讐を果すために!」
 レーテはナリス公の真正面に躍り出る。興奮は収めた。なにせ、これからとびっきりの楽しみがあるのだから。目だけをぎらぎら輝かせて少女は囁く。
 禁断の小箱の蓋を、そっと、開けるのだ。
「ナリス殿。そのために、貴方は、実の兄を殺したのでしょう・・・・・・?」


 王座の間は、しんとしている。扉を守る兵士も、来るべき護衛の兵士の気配さえも、外にはない。まるで王座の間は外界から遮断された、異次元の海にぽかりと浮く孤島。
 だだ広い王座の間にいるのは、彼と二人だけ。
 ふっと、ナリスが笑った。暗い窓の外を感じつつ。
「・・・・・・もう八年も経ったか・・・・・・。月日が過ぎるのは速い。そういえば、あの日も、こんな雪の日だった・・・・・・」
 空っぽの玉座に、レーテが勢い良く腰を下ろす。重厚な玉座は、華奢な体の彼女には、少々大き過ぎる。
「座り心地の悪いものではないわね。・・・・・・でも、座り心地の良いものでもないわ」
 彼女は後ろを見て、玉座の高い背もたれに刺繍されたバトラール家の紋章をなぞらう。
「ローディスと講和条約を結んだ後の、最初の冬、ね。貴方の兄、ラーヌンクルスの前領主は、流行り病にかかって死んだ・・・・・・」
「実にあっさりと死んだわ。・・・・・・己の犯した罪を償うこともなく」
「持病の胸の発作を併発してね。皆が駆けつけた時には、もう息がなかった。幾ら病弱とはいえ、病状は回復の兆しを見せていたから、皆、驚いた・・・・・・」
 レーテは玉座に深々と座り直して、指を組んだ。
「そして、次期領主の貴方に、兄殺しの嫌疑がかかった」
「証拠の無いことを」
「私達は知る」
 嬉しそうに少女の顔がゆがんだ。
「エリヴァーガルの毒を一滴。・・・・・・眠る彼の口に含ませる」
 左手でくいと小瓶を傾ける仕草をしてみせる。
「やがて呼吸が止まる。持病の胸の発作に、誰も怪しまない・・・・・・」
「あいつは、戦いから逃げたのだ!」
 ナリスは高ぶった声でこたえた。

「大陸から、ローディスが攻めてきた時。あいつは戦うことなく、ローディスの属国に成り下がることを了承した。ローディス教を受け入れ。独立国としての誇りを捨て、あいつは、この国を売ったのだ」
「そうよ。だから、貴方は実の兄を殺した。ローディスから、この島を取り戻すため。誇りを取り戻すため。力によって」
 玉座から飛び上がって、レーテはナリスに迫った。
「そうよ!ローディスへの復讐を。ローディスへの憎しみを。憎悪を!もっと!」

「あっ」
 レーテは一声上げて、後ろに飛びのいた、しかし、遅かった。
 一瞬走った黒光。振り下ろされた斧。真っ赤な鮮血が辺りに飛び散る。
 レーテの上半身が赤く染まっている。右肩から腹にかけて、ナリスの斧に切り裂かれた。
「・・・・・・あら。久し振りに見たわ。赤い血・・・・・・」
 血まみれの自分の手に、微笑みを浮かべて少女は見入る。ナリスは、さらに斧を構える。
「人外の者よ。お前達の企みは見えてきた。この私の憎しみを利用しようとしているな」
「ナリス殿。どうか、気をお静めになってください」
 セルヴァンは顔色一つ変えない。
「これが最後だ。お前達は何者だ?告白しなければ、ここで殺す」
「聖槍の情報を欲しくないの?私達を殺したら、永遠に聖槍は手に入らないわよ」
「お前達からもたらされる情報を信じろ、と」
「・・・・・・私達は、貴方の願いを叶えることができる。貴方に強大な力を与えることができる・・・・・・」

 王座の間の空気が、急激に極端に冷たくなる。窓も開いていないのに、風が、外の嵐のように吹き荒ぶ。ランプの灯火は消え、真っ暗になる。暗闇に、ぼんやりと鈍い光を放つ、レーテとセルヴァンの姿だけが浮かぶ。
「・・・・・・貴方の胸に巣食う、本当の苦しみさえも、取り除いて差し上げることができるのよ・・・・・・」
 深く刻まれたレーテの胸の傷から、赤い鮮血が滴り落ちる。ぼと、ぼと、ぼと。音たて次々に床に落ちる。それが、除々によせ集まり、黒い物体に変わっていく。黒い集合体はわさわさと不気味に揺れ動く。ついに、人の背丈を越えるほど、大きく大きく立ち上がると、猛烈な勢いでナリスに襲い掛かった。
 ナリスは斧を振り上げ、黒い影を迎え撃つ。一刀両断のもとに、闇を真っ二つに切り裂いた。だが、ガスを切ったようなものだった。分かれた闇は、すぐに元に戻り、ナリスの体を包み込む。覆い被さる。
「う、あああ!」
 思わず声を上げた。これは意思をもった黒い影だ!振りほどこうにも振りほどけない。腕や足に絡まって離れない。奈落の底に引きずりこまれるように。体が宙を浮くようだ。頼りとなる足場もない。何も見えない。何も聞こえない。何も感じられない。息もできぬ。息もできぬ・・・・・・。
(兄さん)
 美しく透き通った声が、無の闇に響いた。それは、優しい声。懐かしい声。・・・・・・愛しい声。
(・・・・・・兄さん。・・・・・・助けて・・・・・・)
 胸を切り裂く女の悲鳴。声は悲痛を帯びる。助けを求めて。しかし、声は徐々に遠くなり、小さくなっていく。ナリスは必死に、声のする方へ手を伸ばすのだ。
 あの時の憤りが怒りが憎しみが、悲しみが、まざまざと蘇る。
(あいつは、ウィリアムは!妹をローディスに売ったのだ!)
 闇の中へと、ナリスの意識はとんだ。




後編