(何故、こんな所に来てしまったんだろう?)
ベイレヴラは、目の前の惨状に、呆然と、動けない。焼け果てた大地、焼け焦げた死体。嫌な臭いがする。未だ新しい人の死体が、ごろごろ転がっている。ほんのさっきまで、この町で戦いがあった。昨夜、家や森に放たれた炎が、けむりを上げて、未だくすぶっている。
鎧兜に身を包み、手には剣、弓や斧。彼等は、彼等の土地を守るために戦った。大陸からやってきた侵略者に較べれば、極めて貧弱な武装であったけれど。
大地はおびただしい血で濡れている。痛々しく切られた、ばらばらの死体がある。剣を握ったままの腕が無造作に捨てられている。折り重なる死体の山には、剣を持たない住人もいる。無抵抗な人間まで殺していったのだ。生き残った人々は森に逃げ込み、強者は容赦無く火をさしむけた。森は燃え、人も燃えた。
人魚の彼女は海からやってきた。川をのぼって、かつて町だった場所に、先程やってきたばかり。彼女の側には、水を飲もうとして生き絶えた人が一人、川に体をもたげていた。
彼女は、この光景に見覚えがあった。数百年も前に体験した、海と大地を血に染める戦い。人魚と人間の戦い。
視点を定めることなく、まるで遠くを眺めるように、彼女はこの光景と向き合っていた。現実と思いたくはなかった。おぞましい悪夢。
(何故、こんな所に来てしまったんだろう?)
彼女は、呪文のように、心の中でつぶやく。好き好んで、誰が、こんな場所を訪れるというのか。こんな悲しい光景を、もう二度と見たくはなかったのに!こんな所に来たくはなかったのに!
(何故...?)
彼女は、記憶の糸を、静かに手繰り寄せた。
数週間前の話だ。彼女の棲み家の上を、大陸からの船団が通り過ぎた。このように大きく立派な船を、初めて見た。船の上の武装した兵士の姿。彼女は、この島で、人と人との戦いが起る事を知った。黙って、船団を見送った。願わくば、戦いが起きないように。せめて、祈りながら。
しかし、現実は非情だ。戦いは起きてしまった。人魚の彼女は戦いの理由を知らない。ただ、推測はできた。かつて起きた先住民の人魚と、大陸から渡ってきた人間との戦いと同じだろう。昔、人間が人魚を征服したように、今度は、大陸の強国が、この島の先住民を征服に来たのだ。
空は厚い雲で覆われている。昼間だというのに、うす暗く、陽の光も射さない。地上の惨劇に、天も、顔を覆う。
この前まで賑やかだったこの町は、死の町と化した。普通の家族の、ごくありきたりな幸せも、もう、ここにはない。
子供達の笑い声も、二度と聞けない..。
(...そうだ。)
彼女は、ここにやってきた理由を思い出した。
(赤ちゃん..。)
昨日から始まった戦い。この町の戦いの音は、川の水を伝って、海の中へと流れ込んだ。人々の怒りや悲しみ、苦しみや嘆きが、海に響いた。彼女は、耳を塞いだ。そこから離れるように外海へと泳ぎだした。遠くへ。声の届かない遠くへ。
陽が沈み、また朝が来ても、声は止まなかった。
しかし、怒涛のように押し寄せた声が、ある時、ぴたりと聞こえなくなった。死の静寂。彼女は帰ってきた。深い深い海の底で、疲れ果てた体を休め。日の光も射さない暗闇の中に、彼女は一人でいた。
ふと、どこからか、声が聞こえてきた。始めは、小さい小さい声。ともすれば、聞き逃してしまうような、かぼそい声。しかし、暗黒の海の果てから、声は確かに聞こえてくる。次第に大きくなってくる。体を休めていた岩穴から、彼女は身を乗り出した。声に耳をすました。小さく、切ない。胸が締め付けられる。彼女は声の主がわかった。
(赤ちゃんが泣いている。)
彼女は無我夢中に泳ぎだした。声のする方へと、引きつけられるように。
そして、この場所にやってきた。
赤ちゃんの泣き声は止んでいた。彼女は不安になった。辺りを見渡し、自分を呼んでいた赤ちゃんを捜した。目をそむけたくなる無残な死体の山にも、勇気をだして視線を向けた。その中に紛れ込んでいるかもしれない、小さな命を。強く急かされるように、必死に捜した。...ここには、いない。
彼女は尾を翻し、水の中に潜った。川をさらに上ってみる。泳ぎながら、水上に顔を出した。焼かれた森に近づいていく程、川の周りの死体の数も増えていく。彼女は、くまなく辺りを捜す。首の無い死体。腹から内臓が出た死体。恨みを残した表情で、死体がこちらを睨んでいた。恐ろしい光景が続く。
(彼等を弔ってくれる人はいるのだろうか?)
彼女は思う。野ざらしにされた無数の死体は、これから、どうなってしまうのだろう。このまま、風雨にさらされ、哀れな野犬の餌にされてしまうのか。彼等、一人一人の死を悼み、悲しみながら、大地に埋めてくれる人はいるのだろうか?
彼女はさらに川を上る。人魚の勘だ。陽の光が届かない海の底でも、泳ぐことができる。正確な位置はわからぬが、除々に、赤ちゃんに近づいているような気がする。
河原の上の、草の生えていない空き地の上。一塊の死体に気付いた。川に茂る水草をどけ、陸地に上がった。母親らしい女性が一人。血で染まった背中には、ざっくりと深く、剣で切られた跡がある。母親に寄り添うように、子供が二人いた。一人の子供のお腹には、穴がぽっかり開いており、もう一人は下半身を黒焦げにして、母親に抱かれて死んでいた。
(何故、ヒトは、此れ程までに、他人に対して、残酷になれるのだろう?)
彼女の胸は痛んだ。
焼けた森を目指し、彼女はさらに奥へ入った。ひょうと冷たい風が吹いた。雨は今にも降り出しそう。慣れない地面の上でも、彼女は懸命に先を急ぐ。身の丈程もある草を掻き分けつつ。
その時、地面に置かれていた、小さいものに気付いた。大切に、草むらの中に、隠されていた。少し焦げた跡がある、藤を編んで作られた小さな籠。彼女は近寄り、中を覗き込んだ。思わず、笑みがこぼれた。
中には、薄紅色の毛布に包まれた、赤ちゃんがいた。すきとおるような白い肌に、毛糸で編まれた帽子の下から金の髪の毛がのぞいている。彼女は顔を近づけた。微かに寝息が聞こえた。赤ちゃんは寝ていた。目元や頬は、ほんのり赤く染まり、泣き疲れて寝てしまったに違いない。
起こさないように、静かに毛布を取り、ススで少し黒くなった毛布から、葉っぱや折れた小枝などを掃った。赤ちゃんを抱き上げて、前、後ろと確認すれば、服も特に汚れておらず、怪我は全く無かった。焼けた森の側にいたとは思えない。火事になる前に連れ出されていたのか。彼女は、不思議に思った。
抱き上げた赤ちゃんは、少しばかり重たかった。生まれて、一年経つか経たないぐらいだろう。腕の中の赤ちゃんは、とても暖かい。うんっと口をもにゃもにゃさせて、顔の向きを変えた。とても、愛らしかった。
赤ちゃんの無事を知り、彼女は心から安堵した。延々と続いた死者の世界で、ようやく生きている人間と出会えたよう。彼女は嬉しかった。柔かい赤ちゃんの頬を、優しく撫でた。
しかし、彼女はすぐに現実に戻った。
(これから、どうしよう?)
自分を呼ぶ赤ちゃんを、必死に捜していたものの、それから先を全く考えていなかった。座り込み、すやすや眠る赤ちゃんの寝顔を、ただ見つめた。
どれ位、そうしていたかは、わからない。人の話声が聞こえたので、咄嗟に、身を草むらに隠した。草の隙間から声のする方を覗き込んだ。
河原には、武装した兵士が三人立っていた。ドラゴンの皮を剥いで作った鎧を身に付け、腰にさす長剣も立派なものだ。その内の一人が、倒れている島の兵士の体を足でひっくり返し、鎧を剥いだり、持っていた袋を漁りだした。
「やめとけ。やめとけ。どうせ、大したモノなんて、持ってないさ。」
一人の兵士が笑った。
「....確か、こいつが持っていたと思ったんだ....。」
兵士は、そこら辺にモノをぶちまけながら探し続ける。そして、最後に死んでいる兵士の腹を力任せに殴った。
「畜生。コイツじゃなかったか!」
「薬草だけでも、もらってやったら、どうだ?」
「いらねえよ!そんなもん。」
様子を眺めていた、二人の兵士は顔を合わせて、大笑いした。兵士達は、話しながら、森の中に消えていった。
様子を見ていたベイレヴラは、心底、ぞっとした。この赤ちゃんをどうしていいかはわからない。しかし、一刻も早く、このような恐ろしく陰惨な場所から、赤ちゃんを連れ出さねばなるまい。
幸い、赤ちゃんの寝ている籠は、小さな船のようだった。 赤ちゃんを濡らしたくなかったので、肩にかけていたショールを底に敷き詰めた。その上に再び布団を敷き、赤ちゃんを寝かした。赤ちゃんは未だ眠りから覚めていない。
(...いい子だから。..まだ眠っていてね。)
周りの様子を伺った。人の気配は無かった。彼女は意を決し、草むらを掻き分け、河原を横切り、川の中に入った。赤ちゃんの眠る籠は、水を撥く魔法がかかったショールのおかげで、丁度良い具合に水の上に浮かんだ。彼女は右手で籠の隅を掴み、全速力で泳ぎ始めた。
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